ブックレビュー:キレイならいいのか

3.日本にどう適用するか

USAの事例や論理は、日本にそのまま適用してはなりません。
当初、私は
「どうせ、ラディカルフェミニストの繰り言だろう。
『アタシはこんなに苦労してるのよ!』を、さも普遍的な女性差別のように粉飾して述べてるのであろう」
とうんざりした印象を持ちました。
まさに、日本の『輸入モノ運動』が支持を得なかった証拠です。当の女性から支持されない言説が、まして社会を動かせるものでしょうか?
たとえば、2011年のこと。
国際基督大学の文化祭で、ミスコンテストに対しOBが異議申し立てをし、大学はコンテストを中止しました。(詳細な経緯、学生のblogより:国際基督教大学(ICU)でミスコンをやることについて) http://kohiayu.blog5.fc2.com/blog-category-57.html

blogを読めば読むほど、ミスコン反対を支持できねぇなぁー、と思います。

ファット・プライドや異性装コンテスト(男の娘コンテスト等)を提案しないで、自大学のミスコンの時だけ噛み付くのはいかがなものか。
『大義は我にあり』の時だけ、攻撃性を発揮する。
法の運用を無視して、感情論で政治家を叩くのと同じ。
あるいは、青少年に悪影響、という言葉だけを妄信するのと同じ。
一時の熱狂でストレスを発散したいだけで、正義の実現には関係ない行為です。むしろ足引っ張り、と指摘しても過言ではありますまい。
誰がいつどのような属性を持っても、差別されない社会の実現には、程遠い。

本書は男女不問で何をしたらいいか?を書いています。市民レベルでできるロビイングや政治的影響力の行使について。
今、ネット上のTwitterやblog、SNSで私達がやっていることは、同じことではないか。
現実世界でのデモや陳情、手紙や傍聴は、同じことではないか。
表現物規制反対を自分でまじめに考え、実行するようになって、
「まんま持ち込んでいる」
わけじゃない、日本ならではの動きはちゃんとあるように思います。

草の根社会運動のテキストとしても、良書と言えましょう。

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