何故に「酷い」と表現したかと言えば、ある種のテーマのお話をする際、好むと好まざるとにかかわらず、多くの一般の人は「うっわ酷い言い方!」と感じるからです。
テーマが、たとえばお食事のことだったとしましょう。
そのとき、誰かの好きな食事が「ココイリのカレー」だったとします。
私がそれを評して、「毎食、ゴキブリを貪り食ってるようなもんだ」と述べたら、「うっわ何その酷い言い方!他に言いようがあるでしょうに!」と非難ごうごうにちがいありません。わたくし自身が今、そう思いました。
それでもなお、「毎食がゴキブリ」と表現するには相応の理由があるのです。あってしかるべき、理に叶った由(よし)であるからこそ、『理由』なのですよ。言ってる本人にとっては、会ってしかるべき理であり、由であると、ご理解いただきたく存じます。
これは逆方向から見ると、「他人にとっては理にかなってもない理由とも認めがたい」となります。でも、それはもう仕方の無いこと、この世の成り立ちっぷり、そのものでもあります。それはもう、悟って悟って日々認識を血肉に刻み、骨に刻むべき事柄なのです。この悟るということについては、多くの偉大な方々がお話したり書き残したりしておりますから、わたくしがこまごま語るのはさておきましょう。置くんです。