介護の先生とホワイトハンズのお話をしたお話

ひとまず、相応の理由はその本人にとっては、切実です。でも、余人にはえてして理解されないものである。というわけでお話を進めますね。

 

さて、先のお食事のお話の喩えは、ある種のテーマのお話をする際にも良く用いる喩えですので、ゴキブリとお食事の件をもう少し引っ張りましょう。

ある種のテーマと申しますと、それはもう、性的なお話ということになりますね。冒頭でわっかりやすーい書き方をしておいて、

「実はカンケイナイデース!ハッハッハ!」

と笑うのもいいかも知れませんが、そこまで厚顔無恥になれるわたくしではありません。愚直なほど正直に、鋭利過ぎる諸刃の剣を、自分がまず手から血を流して握り締める生きものです。

わたくしは非性愛ですので、「異性間で人体くっつけて性器同士の摩擦に耐えろ」というのは、

「毎食ゴキブリを貪り食え」

と要求されるに等しい、いわば嫌がらせを通り越した、拷問です。

非性愛って何よ、と今更問われると、説明に疲れる今日この頃。目で見て分かる障害と違い、発達障害や精神障害は説明しないと伝わらないし、説明しても理解はさらにその先、という言葉をよく耳にします。私はそうした説明責任を一方的に負わされる人や、そのご家族には、真剣に同情しております。非性愛は、同性愛やトランスジェンダー、両性愛よりもっと説明しづらく、理解もさらに先ですから。酷い場合、「それってただの二次元コンプレックスと何が違うの」と問われるか、「同じもの」と見做されて『治療』や『回復できるもの』とされます。

酷い話、非道い話もあったものです。

ただの二次元コンプレックス違うから、訴えるしかない。

「同じもの」と見做しえないから、『治療』や『回復できるもの』ではない、と説明するしかない。人間相手ですから、おそらく私が毎日毎日訴えても、30人かそこいら「記憶にとどめる」人がいて、さらにそこから「理解して、他の『非性愛』にも差別しない取り扱いができる」人の数はもっと少ないことでしょう。これに覚える絶望感と疲労感は、アスペルガー障害でも統合失調症であれ何であれ、「目で見て外部的に即時」には理解できない障害の人が、自身の大変さを訴える際の徒労感と同じものだと思います。

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