いじめ問題の歪曲

特定の教育技術や団体を悪者にして、解決できる話でしたっけ?

教育ニ関スル勅語(きょういくにかんするちょくご)が公布されていた当時ですら、いじめはありましたよ?

日教組の無い栃木県でも、いじめはありますよ?

道徳や規範意識でどうこうする問題ではない。まして、特定の組合団体の問題でもありません。
「力関係の歪んだ関係をつくらない方法」

を身に着ける教育、全人的な見守り、立ち直りを支える教育の整備が急務と思います。

規制強化の世論操作にも通じるお話ですが。

「一部の極端事例を取り上げ」、「構造改革により、福祉の向上、援助に予算を割くべき」話を、「規制強化と監視団体(天下り用)創設」につなげてしまう。それは大きな間違いです。

 

少年犯罪〈減少〉のパラドクス (若者の気分) という本は、いじめ問題を考えるとき、役に立ちました。

「多様性を歌いつつも実際は排斥的な世の中」に生きる辛さ。

「個性」を尊重するといわれつつも「個性的になれない平凡な自分」や「本当にユニークな個性の価値観」を許されない苦しさ。

以前のTLで見かけた、

「人権救済相談に証拠そろえて持ち込め」

が、サバイバル技術として的確になるのでしょうね。証拠は、日時、具体的な「されたこと」「金額」「相手の言葉をできるだけ正確に」記録した書類。自分に暴力を振るわれたら、ケータイ写真でもいいから、写真。

世知辛いご時世ですが、恐喝的にも、攻撃的にもならず、「やって欲しくないことを、止めさせる」効果的手段だと思って、今まさに中二の親類達に教えまくってます。

私は今も、来年も、再来年も、おそらく50年後も中学も高校も同窓会に出席する予定はありませんよ。嫌なことされた記憶を塗り替えるだけの、素敵なことを保証しえない方々なんですもの。

歪んだ力関係をこれ以上発展させない。
で、それで良いのではないでしょうか?
第三者が「もったない」だの「同じ団体内にいるのだから『積極的に』『ナカヨク』するべき」だのという強制することは、新たな歪みを生じさせることになるのでは?

「一部の極端事例を取り上げ」、「構造改革により、福祉の向上、援助に予算を割くべき」話を、「規制強化と監視団体(天下り用)創設」につなげてしまう。それはそもそもの、大きな間違いです。

第三者にできること。
それは、「本当に当事者達が『仲良くしたい』と思うようになる」べく、環境を整える。
「本当に当事者達が、このままではイヤだ、変わりたい」と思うよう、支援する。
「断固かかわりたくない、仲良くしたいなんて決して思わない」なら、思わないなりに、支援する。
第三者にできることは、その程度です。

1日や1月で 『仲良くさせられた』関係なんて、1秒か2秒で瓦解すると思いますよ。

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