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  • 『2012年08月16日のつぶやき』Kirimisakana|http://t.co/VyzWsUbX #
  • 『少年犯罪<減少>のパラドックス』ほぼ読了。サマーウォーズやネット右翼についての知見もあり。社会学なので、「個別のケース」を考えず、統計から見えてくるものを丁寧に追って炙りだした『全体の空気』です。 #
  • なかでも犯罪率の減少に一役買ってるのが『目標に向かって煽る文化』ではなく『目標を設定する理由すら見当たらなくなる、鎮めの文化』という部分は卓見。「格が違う」なんて単語、強敵を前に絶望した勇者のセリフを一般人が吐くのはそれが理由かあああああ!と膝を打ちました。 #
  • 勇者ならぬ一般人は、「格が違う」から、「努力の無効性を妄信」して安住する。あまり悪く聞こえない表現で申しますと、「貴方は大学卒で論文書いたお方。この程度の文章、読めて当然と推定します。少しはげて見ますか?20本全部。(にっこり)」という気分に駆られることもあります。 #
  • この本のお陰で、一般人理解が深まりました。環境特異点の視座を持ちつつ。「何故こんなに多くの人々は、『価値観の多様化を認める認める』といいつつ、『コミュニケーション力』を誤解するのか」という問いの答えを示されたキモチです。 #
  • 1.犯罪の『中身』が、不満の爆発から、不安の爆発に変化した。
    2.人間関係の希薄化により、非行文化の継承が希薄化し、『手口』が変化した。
    3.コミュニケーション力は、「評価基準」が「他者」にある以上、永遠に満点足り得ない。 #
  • 4.さらに、「評価基準」を「たくさん」「維持」できること、が二重構造の「コミュニケーション力の得点」としてカウントされる。
    3および4から、「さりげなく(集団に受け入れられるレベルの)個性」は欲しいが、本当に孤立するような個性は忌避される。 #
  • また、人間関係の流動性、「他の場所では他の関係性があり、時間が違うとそこもまた違う関係性があり」という「アレ」もある、「コレ」もある状態は新たな不安を生んだ。「自分がいつでも離脱できる人間関係は、相手側もご同様」=「ぼくはいつ捨てられる側になるんだろう」という不安。 #
  • ゆえに、制度的共同体への再・埋め込みを求める。不安から逃げる先は、『近代化で捨てたはずの場』ではなく、実は仮想の『ALWAYS 三丁目の夕日』の世界。 #
  • 逃げ込んだ先でも、「この共同体はやはり仮構に過ぎない。とても流動的だ」と分かっている。不安は決して消滅しない。「コミュニケーション力」は目に見えない部分が大きいのに、この不安から、「目に見える部分で評価」して、「保証」を得ようとする。「コミュ力の高い自分」という保証を。 #
  • 「コミュ力の高さ」をほめることと、「コミュ力の低さ」をネタにしたり、自虐ぶったり、どうでもいい事だ、とことさらに言い立てる。
    この二つは、同じコインの両面です。コインの名前は、「コミュ力という幻」といいます。 #

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