クリエイティブコモンズのススメ

過去の訴訟沙汰を論拠にするのはヤバイ件

繰り返しますが、クリエイティブコモンズは、著作権保護法を上書きする『私的契約』のお話。 私人の法律関係は私人が自由に契約で決めることができるという原則、民法91条に依拠しております。

 

提供者も利用者も、お互いに使った時点で契約同意とみなされます。契約不履行や違反行為が見つかったら、まずは話し合いで解決を試み、それでも和解出来ないならば訴訟ということになります。 ただ、訴訟ってそもそもリスクだらけなので選択する人はあまりいない。

訴えた側も訴えられる側も、裁判所に出かけて弁護士費用を払って、そのうえ裁判期間中は日常のお仕事がすごくし辛くなるんですよ。リスクといわずになんと言いましょう。

それでも、「訴訟も辞さず!」という人や法人は訴訟を起こします。

このことが何を意味するか?

一つ目:私的契約で満足して、お互いに創作の連鎖を楽しんでいる人たちの声は、メディアが積極的に取り上げるものではない。 メディアが取り上げる優先順位は、「とびっきり悪いことや不満」か、「新しいこと」。勢い、「既に存在していてそこそこ満足を得ている」話は後回しになりがちです。

二つ目: 私的契約としてのクリエイティブコモンズを良く知りもせず、使いもしない人は、メディアがよく取り上げる悪い例=訴訟沙汰のみを、重要な証拠として検討する傾向にある。

アジア圏とそれ以外の文化圏では、CCライセンスの組み合わせや使い方の傾向も異なります。

これは、法文化の違いや、同人誌の規模、商業が起こしてきた訴訟の例、消費者が起こしてきた訴訟の例の蓄積が異なるためと思います。

とくに、消費者が起こしてきた訴訟の例の蓄積の有無は、アジア文化圏とUSA(州にもよるが)、EU圏のライセンス運用に大きく影響していると、私は分析します。「iPhoneの脱獄?それだって消費者の権利だよ」という判決がでたり。

「文化の発展に寄与する」のは何か?どのような人か?どのような態度か? 

「まず、守ると称して、原則不許可にする」法律の四角四面な運用では、今の技術進歩に追いついてないのはもとより、今後の発展をデッド・エンド(行き止まり)に追い込むのではないでしょうか。

生物学および認知心理学にいう「オープンエンド」の考え方は、非常に参考になります。

 野口祐子『デジタル時代の著作権』と、ドミニク・チェン『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック』の二冊は、一読の価値があります。 本を読む暇も惜しい方は、 http://t.co/p3yeV97U だけでもお読みあれ。 

わたしは
「クリエイティブコモンズのみが唯一にして至高!」
とは断言しません。そんなことができるほど、各種ライセンスに精通していません。でも、

「日本語しか用意されて無いライセンスに、本当の自由な文化の発展は望めない」

と感じています。
皆さんにお願いしたいことは、できる限り、さまざまな私的ライセンスを良く知ってください、ということです。今の世の判例主義では、論拠の偏った著作権意識を醸成するのではないでしょうか。

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