タイバニの映画見に行った話

あしゅら、をキチンと子どもと一緒に話し合うには

あしゅら、をキチンと子どもと一緒に話し合うには、当時の戦乱、歴史、人肉食も含めた飢饉の際の倫理観、宗教の無為無力、暴力の横行と、より弱いものへの連鎖、といった事柄を把握してないといけません。

さらに重要なのは・・・

子どもと自分の間で、価値観の相違が明らかになったとき、感情的に対立せずに話すこと。論拠を明らかにし、それらを情報共有し、拠ってたった自身の価値観、倫理を明確に主張すること。

主張はするけど、相違する結論を「人格否定」や「コイツは駄目な奴」「アイツは嫌い」にしないこと。

 

面倒くさいでしょう。

 

面倒くさいですよね。

 

面倒くささから逃げてもいいのですが、逃げない自由もあります。対話から逃げる親を諦めて、

自分は将来、こういう話題からも逃げない人になるぞ!」

と決意するのは、海賊王になるのと同程度かそれ以上にカッコイイと思いますよ。

 

何故対話の重要性を説くかというと、人格否定ならまだしも、暴力行為や暴言で子どもの「何で」「どうしてそう思うの」を抑圧する大人がいるからですよ。

年に数回顔みりゃいいレベルの親族にも。いるんです。困ったことですね。

 「ある種の話題から逃げない人」になる利点

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