1番楽な死に方らしいという画像について

性的な問題を、人権の問題として捉えない、語らないから、小学四年生の女の子が、
「ああ、親も教師も対処できんだろうな」
と『訴える前から諦観』したんですよ。
あまりこの話題を、被害の記憶とともに何度も繰り返すのは、自分にもダメージが来るのですけれど、やはり申し上げておきましょう。

個人の不快感や落ち着かなさを、「倫理」や「道徳」と言い換えるのはおやめなさい。
創作物が、どんだけでも検閲につながる法案は断固拒否します。
被害にあう青少年を救うことに予算&人員をつぎ込む法案を提案しなさい。
そして、

「お前の不快感を代弁するために、私はサバイバーやってんじゃないわよ。」

と、エクパットや日本ユニセフ協会やPAPSには申し上げておきましょう。
現実の被害者が、口を開きづらくなるような政治活動ばかり。創作物に文句つける時点で、どんな大義も地に堕ちる。
そして、MIAUやうぐいすリボンを支援するのは、これが理由。

架空の表現物に仮託して、自分の経験を吐き出し、整理し、自分を理解し、癒す過程を歩んでいる人に。
「お前のやっていることは今後犯罪にさせてもらう」
という法案を出すことは、どういうことでしょう。
生きるな、と?

そして、真っ先に
「性的な嗜好を満たす目的で楽しんでやっているだろう?」
という反論に、迎撃アンカーを置いておきます。

「人生は楽しむべきものです。苦行で癒される魂はありません」
少なくとも、私は楽しむことで日々を生き抜いておりますよ。
「あなたの脳内にある『サバイバー』のイメージに合わせるために、私は生きてる訳じゃありませんの。」

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