発掘テキスト  私の立ち位置説明

ここで言う『そう』、の中身はさまざまです。

同性愛者であること。
トランスジェンダーであること。
バイセクシャルであること。
逆に、現実世界の人体に嫌悪感を抱く傾向が強いこと。結婚なんて断固拒否であること。
オタクであること。趣味が合わないこと。
ギャンブルもパチンコもやらず、酒もタバコもやらず、話がまったくかみ合わないこと。

でもこうした事柄は、どの様な家庭にもある悩みです。 これまでの歴史で、子どもが『親の知らない情報や価値観を持つようになった』といって、悩まなかった親御さんは居ません。
どんな子供にも幅広い個性があり、それは親といえど完全には理解できないことだってあるのです。
そのことにイライラしたり、思い通りにしようと無理じいしたりするのは人生の浪費であり、世の中に不幸な人間が増えるだけなのです。子離れができてない親ほど、自立した人間の足引っ張りはございません。
それなのに、
「子供の個性が自分には容認しがたい。同性婚なんて認めるものか。子供は病気なんだ。
子供の価値観が自分には理解しがたい。現実の人間に性的魅力を感じないなんて、頭がおかしいに違いない。
子供らが『そう』なったのは、絶対に、断じて、 私 の せ い じ ゃ な い 。
たとえ私が母親として色々失敗して、尊敬できない大人の振る舞いをしていたとしても、子供らが『そう』なったのは、絶対に、断じて、 私 の せ い じ ゃ な い 。
みんな『私の嫌いなモノ』が悪影響を与えたせいだ!
『私の嫌いなモノ』は、教育的ではない、不道徳だということにしよう。
規制して排斥してしまおう!」
と騒ぐことは、いい大人のやることでもなければ、やっていいということでも、ないんじゃないでしょうか。
ただ、そこまで追い詰められる状態になることに、私は心からの悲しみと同情を覚えます。子育てには、もっと実効性のある支援が必要だ、とも思います。『性教育に悩むお父さんお母さんに、答えを代理で出したり誘導したりはしないが、悩みを聞いてあげる場、相談したり、色々な事例を紹介してもらえる場』が必要だな、とも。
「自分が気持ち悪い、嫌いだと思う表現物は、『子どもに悪影響を及ぼす』とか『女性に対する暴力を助長する』といった大義名分をつけて、世の中からなくしてしまおう」
という、一見すると善い意図に思える言葉で、自己中心的な要求を行政に代理させようとする傾向は問題視すべきです。子どもと女性以外、つまり『全人類』という次元での善を、意図的に回避しているようにも思えます。
「子どもを支える大人の意識改革」ではなく、「子どもと『ともに生きる』大人の意識改革」を課題として頂きたいものです。

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