発掘テキスト  私の立ち位置説明

『保守的な性道徳』を振りかざした人権侵害の助長を、わたくしは止めていただきたい、と思います。
「過激な表現は一般売り場に来るな!」を振りかざしても、親や教師に虐待される子どもに笑顔は戻らない。
「残虐性を助長する表現は表に出すな!」と叫んでも、目立つ傷をつけないいじめが増えるだけ。
わたくしが得た知恵はこうです。
「私のはまっている表現物は有害でもなんでもないし、見せてというなら見せてあげます。
でも、保守的で偏見を持ちやすい人はすぐ、自分の嫌悪感や差別意識を大義名分で粉飾して攻撃する傾向にあります。
貴方はどうですか?
私には貴方が偏見の無い人とは確信できない」
「本当に偏見の無い人は、どんなに気持ちが悪くてえげつないものであっても、冷静に対応してくれました。
貴方はどうですか?
「うわっ、キモ」とか言われると、私は酷く傷ついてしまいうガラスのハートですので。」
この語句をいつも胸の中に繰り返して、世間話にの話題に入るべきか、聞き流しておくか、ほかの事に集中して無視するかを決定すること、です。ただし顔は何時もにこやかに。敵意の無いこと、安全人物であることを明示しておくこと。
同じ屋根の下に暮らして同一食物を摂取してても、価値観や個性は同一たりえない。世代間情報交換が上手くいってなかったり、共同生活者としての能力格差があると、家族問題など簡単に勃発します。
親や兄弟姉妹といえど、立ち入れない、共有できないものはある、だが互いに敬して遠ざかることはできる。そう思います。
そうした知恵を身につける機会を、行政の運用で奪わないでください。行政の過干渉は、「有害図書さえ見せなければ理想の子育てができる」とばかり、人間の堕落を招きます。

● 「青少年に与える影響としては男女より男と男のラブストーリーのほうが法律的にはよくない」「同性愛を奨励するのは法律的にどうなのか」 (第604回東京都青少年健全育成審議会議事録の4頁から)(https://docs.google.com/viewer?url=http://www.seisyounen-chian.metro.tokyo.jp/seisyounen/pdf/09_singi/604/604gijiroku.pdf&embedded=true&chrome=true)

創作物を楽しむことと、読者(個人)の性的志向性と、審査委員(個人)の性道徳規範は3つとも全く無関係なお話です。このような論議が行政の行動決定の場で行われることそれ自体を、大変遺憾に思います。
同性愛やその他の『異常』な愛の形を沢山知ったがために、非性愛である自分を自覚するが故に、同性愛者及びトランスジェンダー、非性愛、非婚者の抱える現実の問題(特に法律が全く人権を保障してないこと)を解決することに、熱心になりました。

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