発掘テキスト  私の立ち位置説明

私の経験した事例だけでも、家庭教育の問題、性教育と自己決定の問題、『見たくないものを見ない自由』の問題、『子育て』の問題。さまざまな問題が内包されていますね。
それに『上からの健全化』には、『上からの民主化』以上の危険が伴います。民主化には、『非・民主主義者』でいる自由も担保されますが、健全かそうでないかの判断を行政に代行されたら、それ以外の価値を論ずる自由がなくなるからです。
情報メディア以外の部分、例えば性犯罪者に対する教育プログラムや所在追尾といった法整備をしてもなお、性犯罪を根絶することは不可能だろうことは、人類史からみて既に明らかです。でも今の現状は、実在する人類(私がこのように表記するとき、それは何も幼児、児童、生徒に限った話ではなく、老若男女全てを指します)に対する性的虐待があきれるほど少ないのです。
「マスメディアには沢山の子どもや他の対象への虐待がニュースになっているのに?」
そうです。マスメディアが、『虐待はあってはならないことだ』とニュースにするようになったからです。
私が実在幼女だった時代、親も教師も取り合ってくれませんでした。今もそのことを問うと、「覚えていない」の一点張りです。誰しも自分が『その当時の常識範囲内では、限界のある人間だった』とは認めたくないのでしょう。
昔に比べたときの『いま』が、ことさらに悪化したわけではございません。
むしろ、『闇に葬られてきた虐待』が、『日のあたる場所に引っ張り出された』ことを私は喜びます。
「私の知らないこと、無かったこと、無関係なこと」にしようとする人の数が減り、
「虐待者は特別異質な人間でもなんでもなく、自分と同じような人間であり、私とても何か事情が重なれば同じ間違いをするかもしれない」
と自己点検を行い、規範意識を醸成してくれることを、心から願います。

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