発掘テキスト  私の立ち位置説明

すごーく嫌な経験は、人間に大変な苦しみをもたらします。私が何に苦しんだかといえば、主に3つあります。憎しみと自己否定と殺意です。
幼い人間なら、嫌なことをされても覚えてないだろう、とお考えになる向きには、「違います」とお答えしておきます。
「小さい子どもには、どうせ分からないだろう」とか思って性的虐待をする人(老若男女不問ですよ!)は、大変な勘違いをしています。
「そのとき」は分からなくても、「分かるような年齢になった」とき、大変な苦しみがやってくるのです。
「誰に」嫌なことをされたかは覚えてない。
覚えてないから、憎しみと殺意は「老若男女」のうち、不特定全ての「老若男」に向かいます。 時には『取り上げようとせず、無かったことにしよう』としたり、『細部を答えられないということは構ってちゃんの作り話ではないか』という人々、男女不問の全ての人に向かいそうになります。
殺意を実体ある人類に向かわせずに済んだのは、私が暴力的・犯罪的・アナーキズムな内容の創作物やメディア情報から、『ばれない方法で殺害するのは不可能』『独裁者スイッチは私がもっとも忌避すべきもの』と理解したためです。
それと、『表現の自由』を謳歌して、暴力的・性的内容の18禁表現物を別HNで描きまくれたお陰です(当然、18歳以下と、異なる趣味の持ち主のアクセスをお断りする現状最善のサーバー運用つき)。
PTSD(心的外傷後ストレス症候群)は強烈で、性格の根幹を捻じ曲げるほどです。
たとえば、私は基本的に善を希求する生き物ですが、死刑は廃止してはならないと考えております。
矯正困難な性犯罪者を公費で養ったり、再犯のリスクを社会に(特に性犯罪の対象にされそうな全ての人に)負わせてまで生かしておくことは、よい税金の使い道ではない。自然災害ごときで追尾不能になる追尾システムも然り。
そういったコストとリスクより、死刑という方法で『世の中の実在する人間へ、もう絶対に悪いことが出来ない状態にする』ことは、『善ではないが、現状でもっとも有効な社会正義の達成手段』だと考えます。
一方で税金の使い道として、性的情報メディアへ規制を行うことは、『善ではないし、現状では有効性の疑われる、社会的ムダの達成手段』に思えるのです。

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