発掘テキスト  私の立ち位置説明

さらに重要なのは、私は性的虐待や妹の自殺といった辛い経験をした時、した後、
「性的な内容、暴力的で嗜虐的な内容、死や自殺や他殺を扱った内容、犯罪/犯罪者を美しく格好よいもののように描いた内容」
を自分でも描いたり書いたりすることで、心のバランスが保てた、ということです。
今の公開HN以外の別名で、あるいは匿名で発表したものは、残酷さと狂気を描く漫画家として尊敬している、氏賀Y太さんの作品に勝るとも劣らぬ残虐性と偏執的な悪意がこもっております。
穏やかに生きようと努める普段の心の中に、ものすごい殺意、憎悪、残虐性、できるだけ苦痛を長引かせて屈辱を与えてやりたい、という気持ちが底流に流れているからです。
それを『創作物』という形でなら表現できる、表現しているだけなら「表現の自由」とされる世の中。
「作品は風変わりだけど、本人はいたって善い人」としてなら、こういう自分も許容される世の中だったからこそ、
「ああ、創作で発散すればいいんだ」
と安心できました。
「出版社に所属している作家ですら、行政からの干渉に守ってもらえないのだから、私のような個人はあっというまに潰されるのではないか」
と怯えることはありませんでした。
自分の中のドロドロした嫌な記憶と自己嫌悪を、『非実在の老若男女に対して好き勝手にヤル』ことで発散できなかったら?『非実在の幼児や青少年(男女不問)、女性や男性が、悲惨な目にあいながらもそれを受け入れ、場合によっては快楽を得ている』ような図画や図書を創作できなかったら?
私は間違いなく、地元の『周囲からは穏やかなおじいちゃんとして尊敬される老人』や『ペドフィリア』を身元不明の死骸にしていたでしょう。自分以外の人間なら誰であれ、機会をみつけては虐待していたでしょう。
あるいは、飼い猫や他の人間にこんな気持ちを向けるくらいなら、とまず自分を傷つけ、死に至らしめたことでしょう。
今でも、「私の抱える心の歪みが、妹の自殺の遠因となったのではないか」という自責の念はぬぐってもぬぐいきれません。

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