性犯罪被害者の主張

togetterの発言者と、私の違いは、どこにあるのかと考えてしまいます。

私は、 「自分のトラウマから来るデマンドを、社会全体に対して、福祉サービスや社会変革として要求するわけにはいかない」と考える。
相違点はそこにあるのでしょうか?

どんなに理性的に、どんなに美しい言葉を使っても、 「ニーズでは無い、デマンド」を、より優先順位の高い福祉ニーズを無視して、世の中の他の人に要求してはいけないと考えます。
同時に、

「性的虐待から生き延びた人のニーズとは、癒しであって、自分のデマンドを無制限に聞き入れて貰う事では無い」

と考えます。

極端な例を例えに出して恐縮なのですが、『保護者からのネグレクトが原因で、糖尿病になってしまった人』が、いると仮定しましょう。その人は、そこいら中の人全員に対してことごとく、

「甘いものを見ると食べたくなってしまって困る。そこで、スーパーマーケットやコンビニエンスストアで、スイーツや甘いものを販売するなとは言わない。私の目に入らないように配慮してほしい」

と訴えたら、その要求は、叶えてあげるべきでしょうか?
この要求は、多くの人に不便を我慢するよう強制することですし、叶えるためには、大変多くの資金や人材が必要です。しかもその資金や人材を費やすと、より優先順位や緊急性の高い福祉サービスを、叶えられなくなってしまいます。ゆえに、非現実的であるともいえます。

本当のニーズとは、適切な医療ケアを受けることです。また、精神的にも、傾聴を含んだケアが必要だと考えられます。デマンドを叶えてあげることではありません。

また、副次的な意味で、このような主張は、 『同じような境遇にいる人』から同意されないでしょう。私が、トゥギャッターの感想の1番目にあげたことです。

性犯罪からのサバイバーであるということと、表現物の規制を唱えるという事は別問題。
自分自身の個人的な嫌悪感で、世の中を捻じ曲げる事はしたくありません。
それは、正義に適った行いではないと感じるからです。

トゥギャッター発言者の表現の自由は最大限尊重しますが、私は発言内容を支持しません。これは両立可能なことなのですよ。なお、この記事はクリエティブコモンズ継承のライセンスにより、以下のことを許諾いたします。詳細はリンク先をご覧ください。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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