学会誌の表紙がメイドで何がいけないの?

ちなみに歪んだ妄想の持ち主としては、学会の表紙は是非、腹囲は身長の2分の1に等しいデブ壮年に、ミニスカ&エプロン(ストッキングと靴も標準装備で!)でお掃除させたいですね。背景に、感情のこもらない視線で、その様子を観察する白衣の女性研究者がいれば完璧です。

仮想世界のキャラクターが男女どちらであっても、何をされようともしようとも、それは現実世界の人権侵害状態をちっとも改善しない。
二日目コミケ会場の女性用トイレを増設してよ!とか、インドネシアの女性に対する就学・就職差別をなくすよう、外務省に働きかけるとか、ね。

みんな違って、みんないい、っていうでしょう?

私自身とて、自分の過去ログと異なる見解を発表する時があります。自分自身すら意見を変えることがあり、それは常に望ましい方向とは限らない。
だから、他の人の意見相違には寛容に接していかないといけませんや。

その上で、内容に同意できない時は、「でもそれ変だよ」と声を出さないといけません。特に、

「不快に思う人も居る」=「俺が気に喰わねえんだよ」

という言説に対して。何をどう言いつくろっても、本質は小人プロレスをぶっ潰した人たちと、同じです。

「私が不快で、説明しにくい感情的な混乱に陥るから、原因であるお前ら、世の中に出てくるな」

ということです。
(小人プロレスは、ガチですごいエンターテインメント追求してたんですよ!)
私は、
「そういう感情的な混乱も含めて、受け入れる、受け入れがたいと思いながらも、相手のしたいことを『偽善で抑圧せず』共存する」
ことが、ノーマライゼーションの進展につながると思ってます。
要は、「お前ら(障害者やマイノリティやらオタ表現やら)は目につくところに出てくんな」じゃなく、
「私は苦手だけど、出てくること自体は絶対否定しねーよ!好きな人だっているはずだしね!」
となってほしい。
「私は苦手、私は嫌い」
という意思表示は、自由になされるべきです。それが言論の自由ですからね。
でも、
「何々は社会道徳に反する、反する恐れがある」
と『指摘』することで、主語をごまかし、自分の嫌悪感を粉飾する人の数は、減ってほしいのです。

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