スピンアウト作品:魔術師ナナエと女傭兵

『上級者向け触手BL』4に登場したキャラクター、魔術師ナナエこと、ナナノナナエニヒトツカケの過去話。タイトル通り、BL無関係。NLという表現は性的少数者として気持ち悪いので、HL(ヘテロ・ラブ、異性愛)とタグ表記します。

この小説は、CC=BY4.0に基づき、転載再配布加工N次創作してよいですが、CC=BYの条件を守る必要があります。解説記事はこちらから。
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
切身魚/Kirimisakana 作『スピンアウト:魔術師ナナエと女傭兵』はクリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンスで提供されています。小説本編は『続きを読む』からお楽しみください。

女傭兵マリュフ

男性ならば、本来の名の最初の一子音を取り去り、F音を充てて書き換える。
女性ならば、本来の名の最初の一子音を取り去り、M音を充てて書き換える。
もし本来の名の第一音が母音であれば、最初の子音の後ろに第一音を入れ、その後R音を加える。男性ならばF、第一母音、Rで始まり、女性ならばM、第一母音、Rから始まる。
そして、本来の名、諱(いみな)は、生後20日のうちに、両親または直近の親族の手でジオマンシーによって決定される。

彼女はお馴染みになった首筋の鈍痛とともに、安宿の寝台の上で目を開けた。先ほどまで漂っていた、眠りと目覚めの境界線の夢は、まだ耳の内側に残響している。MaRjuph。マリュフ。それが彼女の名乗りの名。
鈍痛にはなじんでいたが、マリュフはのろのろと熱っぽい手を持ち上げて、自分の喉のすこし右側に触れた。体全体が熱に冒されていたが、その指に触れる盛り上がりは、熱くはない。限界まで引き延ばされた皮膚の下で、どす黒い血のような色をした腫瘍が盛り上がり、失敗した蒸しパンのように、
(昨日より大きくなった気がする)
と、昨日の朝も思ったものだ。
息をするのも、唾を飲み込むのも、鈍痛なしにはできない。
30歳で海軍を離れ、漕ぎ手を兼ねた傭兵として働いてきた。5年働いた船を、下ろされてしまった。
「あんたは療養が必要なんだ」
そういって、船主と船医がこの安宿に押し込み、袋一杯の銀貨を押し付けた。袋を確認したら、貨幣の下に雇用推薦状もおいていったことが分かった。
つまり、『この船ではもう働いてもらわなくて結構』。クビ。解雇。そういうこと。
船の上でよくかかる熱病ではないことは、彼女が解っていた。文盲の潜り手(ガワース)たちが恐れるような、呪詛でも悪魔憑きでもないのは、船医だって知っているはずだ。知っているはずだが、かといって治せるものではない。
「どこか、≪女神デュライ≫や≪慈悲の穂≫の治療院を尋ねるといいんじゃないか」
というアドバイスはくれたが。
この町、ジャハンルにそれらの神殿があるかどうかは、船長も、船医も知らなかった。補給の必要はまだないのに、船長が慌ただしく寄港したのは、ガワースやほかの漕ぎ手(文盲で、しかも女傭兵が嫌いな連中)の反乱が怖かったに違いない。

臆病者。

そのほか百もの罵り言葉を、ベッドで思い出しながら、宿の人間に聞いてみてわかったのは、
「ジャハンルにそういう治療院は無い。魔法医に診てもらうか?」
だった。
なけなしの銀貨15枚をはたいて往診してもらったのは、黒い雄鶏を連れた女魔法医で、藪医者としか言えなかった。
「航海に出る前、何日か声がかすれることがあった。数日すると良くなるので、季節のせいだと思っていた。船の上で、日を追うごとに皮膚の下に固まりが触れるようになった。最近は熱と汗がひどく、体がだるい」
と、出しにくい声を絞るようにマリュフが説明したのに。
女魔法医は説明の内容より、雄鶏をマリュフの足元を歩きまわらせて頭を上下する様子のほうに、注意を傾けている様子だった。マリュフはもっと何か、劇的な、少なくとも魔法の呪文や薬の処方を期待していたのだが、魔法医は雄鶏が一回りし終えたのを抱き上げ、静かに首を振った。
「その固まりは、肉の中の毒が凝ったものだ。」
骨を削り出した指輪のついた指を、マリュフの首に向ける。その指先を円を描くように回して、
「体の中にも、毒が回りきっている。首の固まりをえぐりとっても、助かることはできない」
再度首を振った。
熱病にかかって、あと数時間で死ぬような漕ぎ手を見る時の船医と、同じ視線をマリュフに向けながら。
銀貨は先払いで渡してしまった(おそらく、半分くらいは宿の人間が持って行ってるはずだ)が、元気であればマリュフは剣に訴えてでも金を取り返していただろう。
魔法医が戸を開けた時、宿の下働き女がびっくりした様子でそこに立っていた。診断を立ち聞きされたのは間違いない。
その下働きが宿の主人に告げ口したのも、間違いない。
夕食を運んできたのが主人自身で、
「女剣士殿、いつまでここにお泊りになる予定なんですか」
と問いかけられたとき。
彼女の頭は、熱はあっても鈍ってはいなかった。寝台から起き上がれないほど衰弱するまで、マリュフは日々銀貨が尽きるのを待つ心算もなかった。
魔法医ではなく、神殿、できれば施療院のある神殿はこの港町にはあるのか。無いのなら、一番近いところは?
と、宿の主人を質問攻めにしたのだ。
「隣のヤッリル市ならば、≪黒い仔山羊≫教会と、≪ジェスネ神殿≫があって、両方とも施療院があるはず」
「ならば、私は明日、ヤッリル市に向かいたい」
その言葉を聞いた主人は、喜色を隠しきれずに、乗合馬車を呼び寄せよう、朝食はサービスする、とさまざまに便宜を図ってくれた。
マリュフは調味料の薄い焼肉、麦のミルク粥、薄めた赤葡萄酒という夕食を苦労して食べた。
固形物を飲み込むとき、喉の痛みが一番強い。熱で力が入らず、手入れの行き届いた短剣で切り取った肉を噛むのすら、苦労する。
太い縄のように鍛え上げた筋肉と、針金のような黒髪が自慢のバン・チオン島生まれにとって、ここまで体が衰弱した証拠を突きつけられると、肉を飲み込む痛み以外の理由で涙が出そうになる。
食器の盆をドアの外に置き、這うようにして室内便器をつかい、実際に四つん這いになってベッドに戻るのに、どれだけの時間と、息継ぎが必要だったろう。
考えたくもない。
朝の光はまだ灰色だ。日が昇るころまで、朝食は来るまい。枕に頭を押し当てたまま、ベッドの横に立てかけた長剣を見つめる。
金があるうちに、ヤッリル市に向かう。残りの銀貨が尽きる前に、施療院に駆け込むんだ。手持ちの貨幣は全額寄進して、場合によっては回復後の奉仕を申し出て取引しよう。長剣の柄と、鞘に象嵌された宝石は、最後の最後だ。
(最後、葬式代に)
そこまで考えた時、喉がクッと奇妙な音を立て、マリュフは痛みに顔をしかめた。

朝食は、蜂蜜を入れた麦湯に、黒スグリのジャムとパン、なにかの菜っ葉と玉ねぎのスープだった。
一回一回、飲み込むのが辛い。持久戦に持ち込まれたとき、剣の一振りごとに腕の筋肉が痛むのに似ている。これは戦いだ、と自分に言い聞かせながら、終盤は味もわからない状態でとにかく飲み下した。
マリュフの足は、眠っているうちにさらに力をなくしたらしい。廊下の壁を伝い歩きながらも、足がもつれる。
「ちょいまった、首の骨を折るよ?!」
と宿の下働きが肩を貸してくれたので、やっと階段を降りきれた。
「女剣士さん、ちゃんと朝飯食べたかい?うちの料理人よりもっと軽そうだよ」
水の入ったバケツを軽々抱え上げる女の腕にすがりながら、マリュフは(チュニックのベルト穴が、先月よりふたつ減ったのは言わないでおこう)と思った。乳清や牛乳ではなく、麦湯を飲み物にした厚意に、心配で報いるべきではない。
最後に宿の主人との
「『ほんのちょっと』多めに請求したって、罰は当たらないだろ!」
「いいや、割増分は、銀貨3枚だ!」
という、咳まじりの酷いだみ声でのやりとり。
(この声を耳にしたせいかな、解雇された理由は)
船長の怯えた顔がよみがえり、マリュフは頭を振って、首に巻き付けたスカーフの位置を直した。寒気が止まらないせいもあるが、喉の腫瘍を他人の視線から隠したかったのだ。
銀3枚銅貨を5枚(両替手数料コミ)で決着したところで、乗合馬車がやってくる。ヤッリル市近郊の村から来て、ジャハンルに泊り、これから市に行くところだという。
うってつけだ。
足が崩れないよう、上から膝を抑えるようにして歩く5歩かそこらが、遠く思える。ようやく側面のドアに手が届こうというとき、横から吹いてきた風がスカーフをはためかせた。
隠していた腫瘍を見た御者の反応は、想定通り。こちらが口を開く前に、病気が移ったらどうすんだ、から始まり、呪いだの魔女だのといった単語が出てくる。

「私は……病気な、だけだ。これは、移らない」

絞殺される狼のような、女性とは思えない低いしわがれた声に、御者がぎょっとする。その反応ですこし胸がすっきりした、のもつかの間。
「ひ、ヒィィ!」
勢いよく、馬の手綱を引き絞る御者。熱のせいだ。揺れるドアを掴もうと、伸ばした手が空を切る。
「あ゛っ、コラ!逃げるな……ゴホッ」
「おおっと、お嬢さん大丈夫かい」
空を切って地面につきかけた手が、ひんやりした手に掴まれた。今の体温なら、誰の手だってひんやり感じられるんだろうな、とマリュフがぼんやり自嘲していると、乗合馬車の中からローブ姿の男が頭をつきだした。
「おい御者」
灰色の髪を背中いっぱいに伸ばした男が、頭をめぐらすと、鈴か、金属板のような音がした。髪に飾りを編み込んでいるらしい。
(40くらいに見えるし、男娼の類ではなさそうだ。じゃあ何者なんだ?)
回転の鈍い頭の上を、男の声が通り過ぎていく。
「吾輩が許可したんだから、この≪剣の貴婦人≫の相乗りは仕事のうちだろが。金もらった以上、きちっと仕事してけ」
「げえっほ!」
宮廷でしか聞かれないような女傭兵の呼び方をされ、息が止まりかけた。こんな状態でなければ、「軟弱な言い回しでアタシの気をひこうってか、百年はえぇんだよ!」とぶん殴るのだが、マリュフの手首は掴まれている。
それに、手を取って支えている男は親切にも、
「どうぞ、乗って乗って」
と肩までかしてくれるのだ。

(手をあげるのはやめておこう)

マリュフの耳に、本当に大丈夫なのか解らない、という御者の反論が、遠くから聞こえた。
「うつらないって!吾輩が太鼓判を押す。万一お前さんの体に異常がでてきたら、遠慮なく吾輩の塔を訪ねてこい。補償金つきで責任もって治療してやるわい」
補償金という言葉の響きが、御者を決断させたらしい。
動き出す車輪の振動に、心地よく揺られるうち、マリュフは瞼を閉じで眠りに落ちていった。

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