スピンアウト作品:魔術師ナナエと女傭兵

相談の懇願

騎士が起き上がれるようになるまでの間、魔術師ナナエは村人たちに持参した荷物を分けてやっていた。
笑い顔で歌いながら、品物ひとつひとつを渡していく。水牛の背中では、シファカがずっと単純な旋律を奏でている。
「黒と紅色のベリーだ、目の衰えた年寄の茶、パンにもヨーグルトにも合うジャムになる。売る時はひと瓶で銀貨2枚と銅貨5枚。銀貨2枚以上は負けられない」
「水牛の乳は極上のチーズ、中から銀貨が出てくるチーズ、銀貨の在処は食べた者しかわからない。町の者には内緒の内緒」
対価を受け取ってないのか?
むしろ、歌い言葉からすると、金銭をばらまいているのか?
注意を傾けていると、魔術師の歌い言葉は、品物を受け取った側も繰り返している。贈り物の内容、効能、価値、金銭で売り渡したいなら適正価格で売れ、という教訓の歌。
誰も疑問をはさまず、歌い言葉を覚えるように頷いて、贈り物を抱えて家に戻っていく。
籠の底から最後に出てきた『セッケン』を受け取った男が、にこにこと頭を下げた。最後の受領者は、頭をあげると、傍らの女の子に頷きかけた。男によく似た黒髪の少女が、魔術師ナナエの前で頭を下げ、走りだす。
いつの間にか音が止んでいた。魔術師が立ち上がる。マリュフも、護衛の顔に戻ってついていく。
一棟だけ離れたところに、掘立小屋があった。雨風がしのげればいい、という家畜小屋だ。仕切りの中で一頭だけ、藁を踏みながら、震えているのは、マリュフが見ても病気だと解る山羊。
入口のところで、手で「これ以上来るな」と護衛を制し、魔術師ナナエは屈みこむ。数回鼻をひくつかせると、案内の少女をふりむいて笑いかけた。
「うむ。この山羊、吾輩がもらっていくわー」
「ありがとう、ござい、ます」
丁寧にお礼を言うんだよ、と言い含められたのがよくわかる。少女はぴょこん、とお辞儀をして走りだした。
足音が遠ざかると同時に、今にも倒れそうな山羊の額に、魔術師ナナエが指先で触れた。
山羊の濁った眼球が、ぐるりと魔術師のほうを向く。
震えるような唸り声とともに、山羊は息を吸い込み、牧用犬のように、よく訓練された犬のように、四肢をピンと踏ん張って立つ。
震えが止まった。
「よーしよーし、ついてこーい」
二人の後ろを、犬のように付き従う山羊。死の気配が感じ取れるほどの病は、どうしたのだろう。
質問してもいいものか。
魔術師は飄々と答えるだろう、と予想できる。
なら、その答えを聞きたいのか、聞きたくないのか。
どちらとも決めかねて、マリュフは沈黙を保った。
戻ってみると、村人が水牛の軽くなった籠に、粉袋や野菜を詰め込んでいた。そして、水牛の手綱を取る騎士を見て、魔術師ナナエが顔をしかめた。
「ついてくる気かよ。面倒くせえなぁ」
「せめて事情、だけでも」
まだ体力が戻ってない騎士は、言葉すくないものの、目は本気だった。
「面倒くせぇ……説明なら歩きながら聞いてやる。今はそれ以外、返事できん」
放置してても、村に迷惑をかけそうだ、とかそういう計算だろう。
マリュフは膝が震える若者に少し同情したが、見ていて面白かった。どんな魔術を使ったら、ここまで相手を操れるんだろうか。金銭だけでなく、お楽しみにも協力的な村の人たち。
死にかけた山羊を当然の報酬のようにふるまう、魔術師ナナエ。
面白い奴。

帰り道は、林檎(季節外れだ)をかじりながら歩いた。シファカが時折、枝にジャンプしてもぎ取ってくる。水牛は慣れているらしく、鼻を鳴らしもしない。
山羊もおとなしくついてくる。
セイ・ドラハー・ディ・ローレンが、話しだした。
マルウェカッスル(名前自体が城という意味になるので、マルウェカッスル城とは言わないらしい)は、魔術師ナナエの所領、火山のさらに北東に位置する都市だ。都市の中核は、温泉と治療院。三つの宗派が治療院を立てている。ペイヴィオ家は都市警備隊のトップ。魔術師にして建築家、クェラ・ハールに都市の城壁と街路を作ってもらい、最後に街道を見下ろす要地に、一族の館を城塞として建て直した。
「その時、クェラ・ハール師の師として、≪魔術師ナナノナナエニヒトツカケ≫様もいらしたはず」
「覚えてねーなー」
魔術師のやる気がない相槌に耐えながら、騎士は説明を続ける。
ペイヴィオ家の持つ温泉『以外』の温泉が、異常な冷水になってしまった。緩やかに温度が下がるのではなく、ある日突然、湧き水と同じ冷水になった。治療院をもつ三宗派、≪女神デュライ≫と≪ジェスネ神殿≫に≪蝦蟇に似た大きなものは良いものだ(略してガマヨイ)≫は騒然となり、互いに互いを揶揄する内容のパンフレットを配りだす。
薪の価格が高騰し、市民は迷惑しきり。温泉宿を経営する複数の家が困り果て、ペイヴィオ家に薪のために公庫から補助をしてはどうかと陳情。その時ペイヴィオ家の温泉だけは無事であることが、使用人経由で噂になってしまった。
ヘモウス卿は一族とともに火消しに奔走、公庫からの補助金をだしても薪の価格は上がりっぱなし。
相談役のレンダゼンス師は、冷水化の原因調査に乗り出すも、手がかりなし。暗礁に乗り上げ、師匠であったクェラ・ハール師の師として、≪魔術師ナナノナナエニヒトツカケ≫様を推挙した。使者として信頼のおける騎士は自分くらいしかいなかった。
伝説中の伝説、≪火山と森の支配者≫。60年以上前から魔術師たちに語られる人物が本物かどうかは、剣に訴えてでも確かめるしかないと思っていた。
「ある意味、体力勝負?」
ひひひ、と笑う魔術師に、ローレン卿は笑顔で肩をすくめて見せた。600年のキャリアにはかないませんから、とかそういう言葉をつぶやいている。
600年のキャリアを誇る魔術師が、女傭兵をひょい、と振り向く。
「ちょっとは尊敬した?ねぇ、吾輩のこと 尊敬したー?」
少し考えて、マリュフは思った通りのことを告げた。
「感謝してる」
男より低く、鴉のように耳障りな声に、騎士の肩がこわばるのが見えた。だが、彼は振り向かない程度には礼儀正しい若者だった。
梢の向こうに塔が見えてくるまで、魔術師ナナエはニヤニヤと顔が緩みっぱなし。彼は、マリュフの声が風邪を引いたウシガエル並でも気にしないようだった。

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