『差別の問題』にしてはいけない例

.@shuhishin さんの
「原作者が二次創作BLに文句を言うのは「腐女子差別」?」
をお気に入りにしました。 http://togetter.com/li/657319

誘導的なタイトルとコメント欄ですが、『トレードオフ』の例題には興味深くタイムリーでしたので、ツイートした事を中心に、己の考えをまとめてみます。

まず私が確認したのは、『内心の自由』と『意見を表明する自由』が平等な権利だ、ということ。
「原作者であるか、そうではない第三者か」
を問わないで、つまり『発言者はどこの誰かとも知れない』という前提で、
「私は、(作品名)の(性指向A)設定キャラが、(違う性指向)ねつ造設定であれこれするN次創作物が嫌いだ」
と発言する自由は、万人にあるとみなします。
これは本当に、『発言者がどこの誰であれ、等しく保障されるべき』自分の意見を言う自由の問題です。

つまり、発言した者が、『原作者』か、『そうではない第三者』かであるかによって、発言内容に軽重は生じえないのです。
発言内容を支持する人数が、多いか、少ないか、というお話は、また別の事柄です。

その発言を見たり聞いたり、読んだりした『第三者』が、
「私もそう思う」か、
「私はそうは思わない」か。
それもまた、『第三者』の内心の自由です。
また、『第三者』は
「私はAさんの発言内容を支持する。作品が好きだ。」か、
「Aさんの発言内容は支持しない。作品は好きだ。2つは別の話だから矛盾しない。」
と考えるとしましょう。
この二つの『第三者』の考えや、考えたことを発言することそれ自体も、民主主義の基本的な権利のうちと思います。

繰り返しますが、最初の発言にせよ、つぎの『第三者』の考えることにせよ、発言者の立場によって、発言内容が軽くも、重くも、なりはしない。
本人がどれだけ狂信者(ファン)であったとしても、一人分の発言は、百人を代弁はしないのです。
発言者本人が、原作者であったとしても、その人ひとりの発言は、他の一人のファンの発言と、同じ重みしかもちえません。
『発言する自由の重み』は、万人に平等だからです。
発言内容を支持する人数が、多いか、少ないか、というお話は、また別の事柄です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください