スピンアウト作品:記録された血の報復

さてジョウト・チャック・デ・オーチョンに話を戻そう。
彼は、オーチョン家の名を得るため、25歳で先代当主の義理の息子となった。彼の経歴より、経営感覚を高く評価した先代の死は、養子縁組の公式立会い証書がオーチョン家の主神神殿に奉納された1月後である。
そして、ジョウトは葬儀の際、あまり年齢の変わらない『元軍人』を、護衛に連れ歩いた。それが、のちの海軍におけるフルィダック将軍である。
フルィダックは、バン・チオン出身で、見た目は特別目立つ人ではなかった。肩や首ががっしりした筋肉質、とはいえその程度は他の者も同様であったし、背だってとりわけ高くも低くもない。黒髪はいつも毛羽立ったブラシのようだったが、記憶できるのはこの程度の特徴だった。
元軍人が、どこの軍の所属だったかは記録がない。共和国の政治にかかわる他の一族は、元海賊の『元同僚』であろうと踏んだ。しかし事実を暴き立てる前に、雇った者が行方をくらましたり、手首だけが送り付けられたりすることがたび重なるに及び、調査そのものが立ち消えとなった。
共和国元首の地位に就いたジョウト・チャック・デ・オーチョンは、『護衛』を海軍の将軍に任命した。
彼の就任祝いの宴会では、キャリアと人生を棒に振った者が4人いた。二人は肩から腕を失くし、一人は腰から下を失くし、最後の一人は首の骨を曲げられる限度以上に曲げられて、とうとう折られてしまった。ブライム家やサレ・カストー家といったところから、
「あの新将軍を上手く挑発して、どうにかしてくれれば」
と誘われたらしいのだが、上手くいったのは前半部分だけだった。
最初の二人に至っては、挑発も何も、『酒の断り方が気に入らない』という理由で抜刀と決闘を命じられた。まさか冗談でしょう、と薄ら笑いでごまかそうとした顔のまま、腕を両方失くしたそうで。
ブライム家は治療費を神殿に寄付するより、遠縁の親類の元へ見舞金つきで送り届けるほうが安くつくと考え、実行した。
サレ・カストー家は、腕と、その後の失血で生命も落とした『軽はずみな女』とは、血縁も地縁も如何なる関係も無いと明言した。
警察権をもつ官僚機構はあったが、有力貴族がこぞって訴えを「無かったこと」にしたのである。訴えの無い犯罪は裁く事ができない。
オーチョン家の新当主は、護衛がとても気の短い性格であることを認めた。
「すこしでもカッとなると『致命的』でね」
なだめるような言葉が、憲兵の膝を震えさせた。これは尋問ではない、と彼は思った。自分が裁く側で、震えあがった規則違反者を締め上げるいつもの仕事ではない。これは、敗訴した裁判の判決文を読み聞かせられる、原告の気分だ。
敗北したのは憲兵に少しだけ残っていた正義感か、あるいは共和国が掲げる旗のような、空疎な何か、だった。

新しい将軍閣下を怒らせてはいけない。

海軍の部下は当然のこと、雇用主たる共和国の政治家たちがそれを知るのも、時間はかからなかった。
先のごとく、雇った者が手首だけになって帰ってきたり、顔の部分だけを切断されて箱詰めにされて贈られたりといった事が相次いだのである。
フルィダック将軍の陸上勤務の時に重なって、そういう事件が起きる。
相関関係を人々が確信するころには、海軍内には新しい人材が加わりはじめた。海賊を拿捕した際、バン・チオン出身の者なら、助命と引き換えに軍に入るよう勧められた。
断る者は吊るされた(ことになっていた)が、軍に入っていい食事と寝床にありついた者も居る。復讐の企ては、全て阻止された。フルィダックと同郷の部下で固めた、軍のなかの軍ともいうべき一団は、賄賂も説得も効かなかった。

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