ミーガン法と同様の法改正を支持できない理由

『被害者になる子供』を減らすことにつながるのは、3つの教育だと考えてます。
1つ目は、CAP教育。
被害者にならないために、また、加害者にもならないために、幼児期からの教育はとても大切です。虐待の早期発見と防止のために、子供も、周りの大人もこの教育を受けたほうがよいと思います。
2つ目は、性的少数者のことや、性の自己決定権のことも含めた、性教育。
性の自己決定権は、性的欲求が利害衝突する場で、お互い対等の交渉ができるようになるために、絶対に理解しておかないといけないと思います。重要なのは『選択の自由が有る事』。特定の性別にかかわらず、同性愛も両性愛も、FtMやMtF、(私のような)非性愛や、性的欲求そのものを持たない無性愛にも、通用する内容であること。
特定の性別が、弱い立場に置かれやすい、と教えることは大事です。
でも、だからといって「復讐や報復を推奨する」ような女尊男卑じゃあ、それって、単にパワーゲームの強いポジションが移動しただけです。
私が望ましい教育内容だと思うのは、パワーゲームをやめよう、対等に付き合おう、ということです。
『何をもって対等とするか』が、攻撃的な人、とりわけラディカル・フェミニストと、ストア主義哲学及び仏教思想を重んじる私とでは、かなり食い違っています。
私の考える『対等』は、「立場を交換しても成り立つかどうか。そして、前提条件の不公平(背が高いとか力が強いとか資金力とか有利な国籍とか)を、どれだけ補正できるか」で成り立つものです。

この2つと同時に、3つ目の性犯罪も含めた、法教育が大事だと思います。
『いじめ』ではなく、恐喝や暴行や傷害は犯罪だし、それは法によって裁かれるし、法はこういう風に運用される、という教育内容であるべきです。

また、『未成年への厳罰化がどのように推進されてきたか』という事も教えるべきでしょう。
私は、厳罰化の対象になる未成年は、法改正にまったく関与できないのに、不公平だな、って思います。
法律の厳罰化が議論されるとき、未成年者が法教育をきちんと受けて、意見を言えるようにするのはとても重要なことだと考えます。

法を知ることは、世の中が法の通りに回ってない、と知る事でもあります。

それでもなお、法律を厳しくしたら、世の中は善くなるのか、人々が苦痛を感じる量は減るのか。
厳しくし過ぎたルールは、誰も守る気にならない。
自発的に守るはずのルール(内発的価値)を、お金の価値に置き換えて罰金ルール(金銭的価値)にしたとたん、ルール違反が増えて、しかも、罰金廃止しても、ルール違反は減らない。
ルールを変えるってことは、どういう事?
それを考える力をつける事は、性犯罪に対する法律改正だけでなく、もっと広い世の中全体(国、という言葉は敢えて使いたくありません。特定の人のせいで、この国を無条件に愛していると表明しづらくなるのは悲しいことです)の仕組みを考える力につながります。

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