ミーガン法と同様の法改正を支持できない理由

厳罰化するのは本当に適切か?という疑問に答えるために、「現在では不十分なのか」という検証も大事です。先のPDF『性犯罪者対策 アメリカのメーガン法と日本の出所情報提供制度』と、『我が国の犯罪情勢とミーガン法の導入可能性について』だけでなく考えてみてください。

弁護士の奥村 徹先生がツイッターで
「刑法学会の分科会で、強姦罪の客体が女性に限られているのは、女性保護の思想というより、夫の子どもを産ませる権利の保護だという話を聞いた。」
と言うのであれば。強姦罪の性別要件、まさにフェミニストは問題視すべきではないのかしら。

強姦罪の刑期のバランス修正はまだ理解できると思いますが、性的同意年齢の引き上げとか非親告罪化は、私には『16歳で結婚可能な女性』という民法の規定との整合性や、『言いたくない人を引きずり出すおそれをどう防止するのか』といった問題を持つと考えます。大江健三郎の『人間の羊』みたいに。
非親告罪化を導入した他国では、障害などのために自分で訴え出られない人を救済するため、という話も仄聞します。でも、非親告罪化を日本で適正に運用可能なのかな、とか讒訴の防止策、冤罪防止策はどう議論すべきかな、といった部分で、私は『導入には慎重、というか大きな足かせが必要』と考えます。

今まさに起きている事件を見ましょう。マスコミによる加害者報道、被害者報道が適切ですか。親類縁者の家や、過去の作文、ネットに発表した事柄全てを暴き立てられることは、正義ですか。何回も警察署に呼ばれて、密室に長時間拘留されたり、何日も拘留されたりするのに、本当に潔白な無罪でも名誉は回復されていますか。
PC遠隔操作ウィルス事件で行われた捜査で苦痛を受け、冤罪をかぶせられた人に、何がなされましたか。

「性犯罪に限っては厳罰化は必須である」
とは、私には言えません。その論理は復讐であって、正義の実現ではない。

100万人に1名のサイコパスやソシオパスの『厳罰と、再犯防止と言う名の管理』をする為に、残り99万9千9百99人の『無辜の民』にさらなる税負担を強いたり、冤罪のリスクを背負わせたり、将来の世代に生き辛い世の中を作ることは、適切なこととは思えません。
リスクは常にトレードオフです。ゼロリスクを目指すと、世の中全体がゆがみます。
性犯罪の、(本当に使いたくない用語ですが)被害者になることは、マジ苦痛ですが、それでも、自分の復讐心の為に、世の中をゆがめてはなりません。

「この厳罰化や、エログロ創作物の排除で、被害者になる人は減るのか。加害者になる人は減るのか。ゼロにできるのか」

私は、その問いに『ノー』と答えます。
リスクは常にトレードオフです。税金と言う形で集められるお金、官吏として働く人の人数は有限です。有限 な資産を有効に活用し、
「被害者になる人を減らす。加害者になる人を減らす。」
ために。
『管理コストばかり高くついて、人権侵害のデメリットが大きい厳罰化や監視強化』
より、
『教育による防犯効果の高い予防』
をより良い方法だと判断しています。
性虐待サバイバーとして、怒りや復讐心、加害者に対する処罰感情や、慰めてくれない社会に対する欲求不満 ……といったドロドロのエネルギーは、政策にぶつけても世の中を善くしないと思います。昔読んだ本に有る通 り、
「彼らに必要なのは(政治的要求の実現ではなく)精神科医だ」
という言葉を、常に自戒のために思い起こすようにしていますよ。『攻撃的な人』の主張に耳を傾ける際も、彼らに必要なのは政治的要求の実現なのか?他の解決ではないのか?という疑問を常に心に留めることにしております。

誰かや何かを批判するのはいいのです。でも、相手を責めて心の平穏をとりたいのか、それとも問題を解決したいのか?それに気をつけましょう。この点にごまかしがあったり、大上段から倫理だの道徳だのを振りかざす相手は、議論する資格を失います(議論、であって、論争ではない)。対話が成立しない人の相手は、無限に疲れるので、時には絶対回避しつつ。
『対等とは何か?』についての考え方。

フェアな社会とは何か?平等と特権と差別をもう一度考える。 http://wp.me/p1gZ37-1i6

上記の記事は平等について、というタイトルですが、『対等とはどういうことか、前提条件の補正とは』という意味で、わたしはこの絵に影響を受けました。
エマ・ワトスンさんをバッシングするのか、同意するのか。(「 フェミニズムという言葉は、どうしてそんなにも不愉快なものになってしまったのでしょう。」エマの国連スピーチの日本語全訳。http://yuma-matsumoto.tumblr.com/post/98217598964/emma-watson-speech-un-women-heforshe )
過去の女性の参政権が手に入ったことを、フェミニズムの功績として誇るか、味方を沢山作ることに成功した市民運動は、別の話として置いておくのか。
日本人であることを、驕慢の理由として他民族への排除を良しとするか、より寛容な民を心掛けるか。
世の中に試金石はたくさんあります。
『復讐心や嫌悪感を使って動かす論理』
には、距離を置いて検証し、
『全ての人に、対等に適用したとき、この主張は、デメリットの大きい不正義である』
と判断したら、私は同意しません。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
切身魚/Kirimisakana を著作者とするこの 作品 は クリエイティブ・コモンズの 表示 4.0 国際 ライセンスで提供されています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください