スピンアウト作品:山に住みたい魚の話 1

明け方には、丘陵のくぼみがミルクのような霧に沈んだ。キャンプを張っていた場所は見晴らしの良い丘の上だったので、メバルが他を起こすだけの時間的余裕がある。唇に指をあてて、静かに武器をとって、と目で示すと、彼女は関知した物音のほうに注意を傾けた。
まばらで、バランスの悪い足音が、6人分。成人したヒトくらいの男と、歩幅的には女のも混じっている。金属のぶつかる音はしない。微風が運んでくる異臭。排泄物と、汗の匂い。
何だろう……?
杖を手に立ち上がろうとした動作を、小柄な怒矮婦がさえぎって前にでた。
「お前たち何の用だい!手練れの戦士に噛みつく野良犬は、腹ぁ裂かれて炉辺の灰になるよ!」
伝法な脅し文句を強調するように、どん、とハンマーを地面につきたてる。その傍らには、黒い幽鬼のようにボリスが剣を構えた。刀身に≪魔力の輝き≫は宿っていない。
霧のなかから現れたのは、汚れた衣類をつけ、途方に暮れた顔をした6人の男女だった。
「と、盗賊ではありません、女戦士さま。ただ助けを乞いにきたんです!」
「ハッ、助けだってぇ?」
吐き捨てるヨアクルンヴァルの肩に、ラムスキンの手袋が載った。
「私に、話をさせると良い」
「メバル、アンタ……あんな連中放っておいていいんだよ」
逃亡農奴とかに関わったら、どこか貴族家から賠償を吹っ掛けられるかもしれないじゃない。そんな予想がすぐ出てくる程、ヨアクルンヴァルは不信と、不快で鼻にしわを寄せた。メバルは見すぼらしい一団を一瞥すると、小さく首を振る。
「あの人たちは、病に討たれている。私は、異族だから、ヒトのかかる毒や病気は平気だ」
そういえば、後衛に居たテイ・スロールですら、一度は≪解毒≫を必要としたのに、メバル自身にはまったくかけた様子がなかった。
僧侶がこんな風に、ヒトから助けを乞われた時は、制止しても無駄。そんな予想がすぐ出てくるほど、ヨアクルンヴァルは経験豊富だった。
「好きにおしよ」
うめき声に似た諦めを背中で聞いて、メバルは進み出た。
男女は垢と、排泄物の汚れと、汗の匂いがした。
「私はドゴン族のメバル、≪深きに眠る御方≫の僧侶だ。訴えのある者は、一人ずつ、話してほしい」
彼らの訴える症状を聞き、幾つか質問を投げかける。井戸の近所や、少なくとも村の内部で、最近何か掘ったか。家畜の様子はどうか。症状が酷い者は男か、女か、年齢は。
メバルの言葉づかいや、会話を中断しては水を飲む行為より、治療師然とした物腰に安堵して、小さな村の人々は口々に知り得る限りを話した。
村の者が全員、疫病に討たれたこと。元気な者たちで助けを求めて街道にゆく途中、旅人が通った痕跡(2日目のキャンプしたあとだ)を見つけて、あとを追ってきたこと。
話を聞けば聞くほど、メバルは考えを巡らせ、自信ありげにうなずいた。その様子に、ヨアクルンヴァルは天を仰いで額をおさえ、ボリスは肩をすくめ、テイ・スロールは女僧侶と、戦士たちを交互に見つめている。
メバルが病に討たれた者とともに村にゆく、ここで別れて構わない、と言い出した時も、3人は準備できていた。
「褒賞はどうすんのさ、アタシはわざわざ届けてやるほどお人好しじゃないよっ」
ヨアクルンヴァルの言い方は、怒っているというより、届けないからせめて先に町まで一緒にこい、という願いに聞こえた。「要らない」とか言ったら、本当に怒られそうだ。
そこでメバルは妥協策をだした。
「≪愛すべき深淵≫という娼館、知っているか」
「はい、僕が知ってます」
驚きで沈黙したヨアクルンヴァルの横で、黒い肌の手が挙がったので、メバルはにっこりと頷いた。「ウチは超売れてるお店なのよぉ。男の大半と女の半分は名前くらい知ってるはず」という、けだるげな声が耳によみがえる。
メバルは村の者たちに少し待つよう言った。眼球が飛び出しそうな顔になってる3人に、
「あそこが私の、この国での、常宿だ。言づけると良い」
そう言いながら、自分の寝袋を丸めて、荷物に括り付けると肩に担ぎあげる。
「ヨアクルンヴァル。この国には、私が異族だから、特別優しくしようというヒトと、異族だから酷いことしようというヒトがいる。貴方は優しいヒトだった。ご一緒できて、うれしかった。有難う」
深く頭を下げたドゴン族は、サラサラと髪をかきあげて、きびすを返した。
なんで過去形で言うんですか。
なんで高級娼館が常宿なんですか、しかも僧侶の女性の。
なんでなんで、といくつもの疑問をどれから口にしようか迷ううちに、霧のなかの足音は遠くなっていった。

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