スピンアウト作品:山に住みたい魚の話 1

10日が経過した日の正午に、空馬を連れた騎手が村へやってきた。轍ののこる山道をすこし登ったところにある村は、15棟ほどの同じような藁ぶき屋根が立ち並ぶ。メバルが問診していたように、羊や山羊たちは柵囲いの中で穏やかに、枯れかけた草を食んでいた。
初秋の空気はひんやりしていて、もう1週間もすれば最初の寒気が木の葉を降らせるだろう。騎手は、袖なしの白い木綿チュニックから、傷跡の走る黒い腕をのぞかせている。汗っかきのボリスには、良い季節だった。
馬が来るのを見つけたのは、村の中央で何かの木材を組み立てている大人たちの一人だった。
「メバル様の仲間だ!」
おーい、と歓迎するように手を振られた。
振り返して馬を降りると、井戸まわりでタールの桶を掻き回していた中年の女性が走りよってきた。
「メバル様が言ってた、軽装戦士のボリスさんだね。昼ご飯は食べたかい。まだなら、皆と一緒に食べなよ」
「まだです。でもメバルさ…メバルさんは何処です?」
女性につられて「様」と言いそうになり、ボリスは周囲を見回した。
この木材部品の山は何だろう。井戸の真横に、板を組み合わせて角筒状にした木材部品が何本も転がされている。削りたての白木の匂いと、内側に塗ったタールの匂いが混じって、陽ざしに暖められ立ちのぼった。
奇妙なものは他にもあった。井戸脇にある、今は水を抜いた共同水場の周りには、簡単な架台が置いてある。新しさは角筒と同じくらいで、架台は10フィートほどの間隔をとって、村の外の高台へと続いている。10フィートの間隔。それより少し長い木材の筒が意味するものとは、何だろう。
「まだ症状の抜けきらない者を、メバル様がお世話してくださっててね」
本当にあの御方は、とエプロンの裾で目元をぬぐいながら、女は案内の道すがら、話してくれた。
僧侶メバルは、村に入ると真っ先に井戸にゆき、水を汲み上げた。推測していた通り、井戸水には汚染がある、と。便所用の深孔から水源が汚染された可能性がある、とも。
水を汲み上げ、清めの呪文を使い、その日の分の水を大人たちに確保すると、彼女は重症の子供と老人を隔離した。村はずれの山羊小屋が改造され、下痢と嘔吐が止まらない者たちの世話の仕方を教えたが、それらは実際のところ、主に彼女が行った。
体力のある大人たちは、早い者で1日後には歩けるようになり、井戸水の汲み上げと、高台にある川からの水汲みを担当した。汲み上げた水には、メバルが呪文をかけて清めた。
次に動けるようになった者たちは、汚物のついた布類の焼却を求められたが、村の貧しさを説明したところ、「私が清める」と呪文をかけてくれたこと。何度も。
2日間、不眠不休で働いたメバルは、3日目の朝に川へゆき、見た者が心配する勢いで水を飲むと、また精力的に働きだした。水汲みをする者たちに声をかけ、
「汲みに往く仕事は、大変だ。今すぐ井戸を掘りなおすのも、難しいだろう」
と言って、計画を話だした。高台を流れる川の水を、木の筒で引っ張りこみ、井戸脇の共同水場で使うようにしよう、と。
「今年の冬を越すくらいしか、持たないが。井戸を掘るか、補強するか、決めるのは、春でも遅くないのだ」
基準になる木材はこれで、厚みや枚数はこれだけで、と具体的に指示を始めるものだから、病み上がりの者たちの顔に希望の光がさした。
鋸や斧の音をものともせず、メバルはその日の残り半日眠った。
そして、夕食の用意をしていたところにやってきて、金属の鍋いくつかと、炉辺で使う鉤や火かき棒を借りていった。
「何か酒はあるか。葡萄酒か、良いな。樽ひとつ、貰い受ける」
風の吹き込まない家と家の間の空間に、メバルは炉を作った。炉の真ん中には小鍋。その上に、大鍋を半ばかぶせ、鳥を捕まえる罠のような角度になるよう、大鍋の把手を炉辺の鉤に引っ掛けて、宙づりにした。さらに大鍋の下側には粘土でしっかりと大皿を固定した。大皿の上に水を張り、そこに別の鍋を置く。
火を入れると、葡萄酒を入れた最初の鍋から、香気豊かな湯気が立ちのぼり始めた。湯気の大半は空中の大鍋に受け止められ、露となってゆく。角度がついているので、滴は必然的に、水を張った大皿に乗せた鍋へと流れ落ちた。
葡萄酒が半分に減ったら、火を止めて捨てる。集めた露は、瓶に移してコルクで蓋をする。その作業が終わるころには日はとっくに暮れていたが、彼女は松明を持ってこさせた。
ひととおり手順を繰り返すと、女僧侶は火の前からあとじさるように椅子を下げて、そのままそこで翌朝まで眠り続けた。村人たちが椅子ごと抱えて屋内に運ぶ間も、くぅくぅと。
目覚めると、彼女は「簡易蒸留で得た酒精で手を洗え、見えないときも汚れを落とせ」と言い出した。看護する人々に何度も繰り返した。
「どんなに大事な家族でも、病人にキスしてはいけない。良くなったら、していい」
「手を酒精で洗うまで、どんなに痒くても目や鼻、顔を触ってはいけない。舐めるのは絶対いけない」
「汚れ布を洗濯した後も、酒精で手を洗う。真水で洗うのでは、不足だ」
「この酒は、強い。割らずに飲むと、酷いことになる」
などなど。
元気を取り戻していた者の何人かは、自宅のかまどで蒸留を試していた。呑み助などは、自家用だけでなく、商売にする算段もしているという。
そんな話が終わるころ、山羊小屋を改造した病棟に着いた。板戸を叩くと、中で物音がして、予想どおりの銀髪が現れた。信じられないモノを見た、と見開かれた金色の目が、数度瞬きする。
「ヨアクルンヴァルが、早くもどってこないと、次の仕事を受けられない、って。僕を寄越したんです」
入ろうとしたボリスを、一瞬早くメバルが制した。
「ダメ。手を洗って出る、外で待ってると良い」
ボリスが見守るうち、痛そうに目を伏せながら、メバルは酒精で手を洗う。テイに聞いた通りの指ヒレと、細い指や手の甲に、毛が散ったような赤い線がついていた。僧服の隠しポケットから、ジェルウォーターをだして刷り込んでいるが、傷をいやす効果はないのだろうか。
「昼ご飯に、さそわれた。一緒に、食べるとよい」
ジェルが乾いてない手をラムスキンの手袋に突っ込みながら、メバルが歩き出すので付いてゆく。傷を呪文で癒せないのか、と問うと、
「この程度に、魔力を使うわけには、いかない。あそこで寝てる、二人の子供よりは、痛くない」
という答えだった。メバルは肩から胸の中央までを覆うケープの下に水袋を提げていて、歩きながらひっきりなしにそれをあおった。酒を手放せない中毒者のように。たぶん、本人はその頻度に気づいてない。
案内から聞いた話は5日目のことまでで、今は10日目の正午すぎ。指折り数えたボリスが、白いケープの肩に手をかけて止めた。
「メバル、何日寝てないですか」
「……さあ、覚えてないな」
なんだか吐き気がした。魔力が尽きるのを気にするのなら、自分の睡眠もとってください、せめて手のあかぎれくらいさっさと治しましょう、と肩を揺さぶって叫びたかった。
そうする代わりに、手の下の肩を引っ張った。睡眠不足の僧侶は、簡単にバランスを崩して倒れそうになる。それを尻の下から抱え上げて、半回転させて左肩に腹があたるような形に乗せる。
「私を、ジャガイモ袋のように、抱えるな」
「芋の袋より軽いです」
パタパタとケープを鳴らして、小さな拳が背中を叩いた。
「嘘だ。メバルは身長6フィートはないが、相応に重いのだ」
「小麦粉の袋より軽いです」
それに胸も無いですし。
「下ろすのだ。私がいないと、看護が」
「やり方は知ってると、村の人が言ってました」
「だ、だが、水清めの呪文、使える者は」
「高台から水汲みする人手は、十分に居ますよ」
場所を聞く気は無かったので、手近な家の開け放ったままの戸からお邪魔した。清潔そうな藁と敷き布だったので、できるだけ衝撃を与えないように下ろした。起き上がろうとするので、額を押さえて封じた。
「メバルの第一の仕事は、眠って十分に回復することです。僕はここで見張ってますから、抜け出そうとしても無駄ですよ」
手の下で、しっとりと柔らかい皮膚に皺が寄るのを感じた。メバルは眉を寄せ、唇を噛んで何か言い返そうとしている。だから、さらにダメ押しを加えた。
「必要とされるときに、僧侶が十分な魔力を持たず、集中力も切れていたら、致命的です」
数秒間、金色の目がにらみつけてきたが、決着はとうについていた。
背中を向けて丸くなるメバルを確認して、ボリスも藁布団に背中を預けるように、床に腰を下ろした。
「ボリス」
「早く眠ってください」
ピシャリと叱ったのに、「1つだけ」と小さく言うものだから、つい耳を傾けてしまった。
「メバルが異族だから、特別優しくしようというヒトと、異族だから酷いことしようというヒトがいる。君は、どっちなんだ」
その問いには即答できなかった。
ク・タイスへ戻ってすぐに、ヨアクルンヴァルは腰骨を骨折してしまい、クエスト報告はテイ・スロールが行った。ヨアクルンヴァルは施療院に2週間の入院。テイは魔術師ギルドの日雇いバイトがあるし、ボリスも探せば職人組合に仕事を求めることはできる。
そうする代わりに、宿で休養をとったあと、メバルの取り分を≪愛らしい深淵≫に届けに行って、ついでに友人と楽しみ、さらに女将から話を聞かされた。翌日、ボリスは馬二頭をレンタルした。
次の仕事を受けるというのは、道々考えた中、いちばん自然に聞こえる言い訳で。本当のところ、女戦士の骨折を治療せねば、何もできない。
「どっちでも無い、ですね」
いい加減な答えでは納得してくれないだろう。指先で頭を掻いて、天井と戸口の外を眺めて、探してでてきた言葉の通りに、正直に言うしかない。
「ただ、迎えに行かなかったら、信義にもとると思ったんです。メバルが少数種族でも、ヒトでも他族でも、同じことをしてましたよ、きっと」
坊さんを見捨てると祟るらしいですから、と付け加えると、力のない手で頭をはたかれた。
翌日の朝目覚めたメバルは、
「礼は、言わない」
と宣言して、ボリスの肩をすくめさせた。川まで上っていき、≪水引き樋≫の工事進行を確認して、メバルはたっぷりと水を飲み、水中で頭を洗った。この土地は、丘の上が山の稜線と溶け合うところにあって、岩だらけでそこいらじゅうが乾いてるのに、水もある。
村の人たちは、彼女のことを信頼してくれた。よいヒトたちだ。
だけど、午前中いっぱいかけて再確認してみると、僧侶が居ないと危ういような病人は、もういないことが理解できた。
僧侶の必要がそれほどでもなくなったら、このヒトたちだって、メバルの違うところが気になり始めるだろう。
その予想は悲しかったが、メバルは笑顔で手を振って村を出た。乗馬に慣れていない者のための、横座りできる鞍の上から、何度も体をねじって振り返った。
もっと何かしてあげたかった。違うな、もっと必要とされたかった、のだ。
心の中に、枯葉のように何かが降り積もる。メバルは軽く頭を振ると、鐙の使い方が解らなかったので、馬自身に語り掛けて足を速めさせた。

あわせてどうぞ:山に住みたい魚の話 資料(1時点での公開情報)

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