Reading:性同一性障害のフィットネス会員コナミスポーツクラブを提訴

「性同一性障害のフィットネス会員コナミスポーツクラブを提訴~みんなの反応」をお気に入りにしました。

第一の感想は『失望』です。少数者にも選択肢を用意するだけでいいのに、多数派の不快を強いるコメントに。

不快原理(危害には至らないが不快だから制限できるという法律の考え方)を拡大すると、「完パスじゃないとランスが、同じ更衣室にいると考えるだけで不快だ」となる。結局のところどんな不快であれ、言ったもの勝ちで誰かの行動を制限できることになる。それは多数者の専制であって、多様性の尊重じゃないんですよ。

児童ポルノ法の解説書にでてた『不快原理』のお話が、なんでトランスのスポーツクラブ利用にまで適用できるのかって?

「不快だからナニナニの権利は抑制できる。ってかそんなんただの我がままであって人権じゃねーよpgr」

という人が呆れるほど多いからです。
仮に不快原理を論拠にできたとしても、『非常に強い不快』に限られるべきです。また、それは推論や仮定であってはならない。現実に被害を主張できるひとがいて、合理的因果関係が認められる場合に限定される。「完パスじゃないトランスが更衣室に居て居心地悪い」は『とても弱い不快』です。
私企業の約款やルール運用に、
「実際に被害者が存在して、被害を経験したことによってもたらされる特定の不快」
を論拠とした『不快原理』を持ち込むなら、誰も裁判を起こそうとは思わないでしょう。それだって、
「今ある施設の運用範囲内でこういう工夫をすれば貴方も尊重できますが如何ですか」
が欠けているから、裁判起こさざるを得ない。
「誰も不快を訴えてないのに、『他の利用者様の不快を先回りして汲み上げました』」
という企業の非、
「尊重する工夫を放棄して、少数者に不便と不快を強いることで解決しようとする」
企業、多数者の非。わたしならこの2つを非難します。

自己評価がどん底なヒトには「もし自分だったらどうよ?」が通じないので、私はこう主張します。
「完パスかそーじゃないかに関わらず、顔の美醜も何もかもさておいて、誰でも利用できる民間サービスだったら、少数派の多様性を尊重してしかるべきでしょ?」

生物学でいうところの多様性や生存戦略の適用事例ではないので、先進国の『リアル』なお話を事例として上げておきます。

“Universal dressing room”か”Universal locker room”でGoogle検索してみると良いでしょう。私が見つけたのは下記の記事。

YMCA gets gender-neutral changeroom
http://www.dailyxtra.com/ottawa/news-and-ideas/news/ymca-gets-gender-neutral-changeroom-5809

これまでは『家族用』とか『障碍者用』としていた更衣室を、改装する際「トランスジェンダーのことも念頭に置いて」、本当にどんな性別でも年齢でも使えるよう、『ユニバーサル』にしたとあります。

「小さい娘を連れたお父さんや、小さい息子を連れたお母さんも、快適に使っていただけます。」

どんな利便であれ、『幅広くユニバーサルに』提供するには相応のコストがかかります。でもそれは「少数者優遇のために少ない資源を使いやがって」ではない。少数者も尊重している、誰にも使いやすい利便性は、全員の利益になる。その視点が欠けた考え方して、男か女かという二元論で話すからおかしくなる。

先のコナミスポーツクラブの事例に戻りますと。私の疑問は二つ。
・コナミスポーツクラブにファミリー用更衣室は無いのか、あるのか。
・あるなら→トランスジェンダー利用者に対し、ファミリー用更衣室の利用をお勧めしたのか、しなかったのか。

そして

・なくても→「使用時間をずらしたりして、女性更衣室の利用を図れないか検討する」くらいはしたのかって思うんですよ。悪いな、介護施設の職員たちは「利用者主体」で考えるんでね。*grin*

自分がトランスでもないのに、どうしてここまで主張するかというと。 「少数者も尊重している、誰にも使いやすい利便性は、全員の利益になる」っていつもいつも言ってないと、世の中はすぐ「多数者にとって都合がいい」方向に捻じ曲げられるからですよ。

おまけ:参考にした本『改正児童ポルノ禁止法を考える

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