レビュー:プレカリアート: 不平等社会が生み出す危険な階級

(本記事は、ブクログ本棚に投稿した内容のコピーです。他社サービスは何時、他社の都合で消されるか分からないので、自己保存しておきます。)

この1年ほどで、ベーシック・インカム(BI)について論じる言説を目にするようになった。一部は福祉切り捨てを目的とした妄言のたぐいだが、本書は異なると判断し、星5つとした。

その理由は4つある。

まず著者がILO(国際労働機関)のエコノミストとして、世界各地の『一時雇用、短期雇用で使い捨てされ、不安定な立場を余儀なくされている人々や、統計に表れない難民、周辺民、デニズン(プレカリアート)』の実態を調査していることにある。
大会社の社長や、エアコンの効いた部屋でパソコンにかじりつき、統計資料だけを見て論じる『論客』とは、その論の重みが違う。

次に、EU、北米、アフリカ、東・南アジアだけでなく『日本も』含めて、プレカリアートの様相をつぶさに論じている点があげられる。これがEUと北米だけであれば、
「日本に都合のいいところだけを輸入するために、翻訳書が選定されたのであろう」
と推測するところである。
だが、日本の非正規雇用、女性パートタイマーにもその筆は及び、さらに『地域の特性に起因するもの』と『全世界共通で起きている、人々の生活不安定化』の部分をきちんと論じている。
日本の閉鎖性、特殊性に物おじせず切り込んだ点は、まさに全世界的な問題を論じるための視点であり、評価に値する。

第三に、これが単に労働者問題ではなく、社会や政治構造にまで影響を及ぼす問題であることを喝破している。副題にもある『危険な階級』、とは、
『不安定であるがゆえに怒りや不満をため込み、方向性を与えられればたやすく理由をみつけて対象にぶつける群衆』
と言える。
在特会(我が国の汚点)にも言及し、移民や難民への排斥行動にむかう流れ。そして、弱者を『悪魔化』(言い換えれば排斥して良い者)して、搾取や不正義を覆い隠し、大衆扇動や監視にむかう政治の『強権化』の流れ。
昨今の生活保護受給者を叩くやりくちは、まさにこの『悪魔化』と言えるし、大分県警が2016年の国政選挙のさい、労組関連施設を監視カメラで(もちろん無断)盗撮し、「猥褻目的ではないから条例でいう盗撮には当たらない」と強弁していることは『監視国家』の片鱗をうかがわせる。
こうした政治の不安定化が、わが国だけでなくウクライナやフランスやイタリア等でも起きていると、筆者は多数の例とともに指摘している。
この指摘は、『政治のパッケージ商品化』『薄まった民主主義』という表現でよく言い表されていて、なるほどと膝を打った。

第四に、「職業とは、経済的な安全保障を得るための手段である」と明確に定義した上で、ベーシック・インカムを提案している点を評価したい。
労使の非対称性があきらかに使用者側(とくにグローバル企業)優位であるとき、ストライキすらできない限界状況をなんとかするには?
「経済的な安全保障を得る」方法を、職業から切り離し、かつ福祉はまた別の支援として上乗せで、ベーシック・インカムを導入してはどうか。
「怠惰な者は失業給付に値しない」というワークフェア方式は、失業給付制度が生まれた時からあると思う。あまりに当たり前に存在しすぎて、
「それは条件付き福祉による管理、不適格者を条件に寄って切り捨てるための制度だ。福祉の目的とすべき姿ではない」
という、本書の指摘が斬新に感じられてしまう。ワークフェアを評価しない(むしろ非難している)部分は、EUの難民問題とも絡むので日本人にはピンと来ないかもしれない。
失業(と、職業訓練経験と、就職率の数字を達成するために行われている数カ月の雇用)経験のあるひとは、また別の意見をもつかと思う。評者は『経験のある』者なので、ワークフェアの欺瞞には首肯しきりである。

わたし自身、派遣労働(月単位)とパートタイマー(年単位契約。法人の経営難の後、理由も知らされず『3年越えたら無期限契約にできる』条項が労働条件通知書から消えた)というプレカリアートである。大学は出た、そして色々な理由が重なってみると、絶望的に人手不足な介護業界以外の職は無かった。
『プレカリアート』で例示された、「高い教育は受けたのに、そこで得た学位にみあう職はない」かつ「不連続でときおりの障害をもつが、福祉給付の対象とはならない程度のひと」である。
本書の挙げる世界各地の「使い捨て」と、「有形無形の恫喝」による労働者コントロールは、胃の痛くなる思いで読んだ。失業経験のときの嫌な気分も思いだしつつ。(おかげで3週間もかかってしまった)

ベーシック・インカム導入は、少なくとも次回の国政選挙で俎上にあげられるほどの速さでは、進まないだろう。他の労働構造改革も、時折ショッキングな事件で冷水を浴びせかけられる事例がありつつ、漸減的に進むか、けむに巻かれて分断統治されるままにとどまる、と推測している。
だが、断片知識だけで「ないわー」と切り捨てては、希望のある選択肢が途絶えてしまう。

本書を通じて、「プレカリアート」を自覚できたことは、諦観で現状をよしとする以外の選択肢を持てたという『収穫』である。
読者の労働観、他国および同国の『次に労働者となる世代』への想像力を試練にあわせる書物であるが、一読を強くお勧めしたい。その意味も含めて、星5つとした。

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