元年春之祭 (ハヤカワ・ミステリ)書評

元年春之祭 (ハヤカワ・ミステリ) 新書 – 2018/9/5

陸 秋槎 (著), 稲村 文吾 (翻訳)

 漢詩、漢籍の教養を試されるという意味では衒学的だ。このポイントで熱狂するひとは少なからずいるだろう。
だが私が最も評価するのは、
「その時代ならではの人間心理に基づいて展開された本格ミステリ」
という点である。文句なしに星5をつけたい。

本格ミステリと言って、アガサ・クリスティの作品を挙げれば、たいていの人の異議は無いだろう。
では彼女が描き愛したビクトリア朝の世界において、本当にものを考え、煩悶し、結果として殺人という罪にすら手を染めるのは、誰か?
ほぼほぼ決まって支配階級の人間である。
執事や料理人、他の使用人階級は、現代人の我々が論理をもって考えるといかようにも怪しめるのに、犯人とはならないことが大半である。
挑発的な言い方をすれば、
「クリスティ的時代の価値観、人間観においては、使用人とは作中に人生の舞台を持たない生き物」
と定義づけることも可能であろう。

その一方、本作は前漢の時代。四書五経が当然の教養として引かれて論じられ、人々の精神的バックボーンのひとつは経。そしてもう一つは、信仰である。
この二つを損なっては、人は単にモノ言う獣も同然、形こそ人であれど、とみなされるような世界。
『この時代のひとに相応しい世界観、倫理観、そしてその年齢のひとに相応しい限界も備えた』
各キャラクターを造形し、物語を動かしていったら、チェスにおける詰みが現れてくるように、鮮やかに真相があらわれ得る。全ての論理を組み立てる素材は、まことに序盤のうちから読者に提供されており、また考えることが可能であった。

本格ミステリと言うにふさわしい、と評する理由はまさにこの点にある。

評者はエラリー・クイーンのよくやる『読者への挑戦』を、一考はしてみても、話の続きを読むこと優先で、決して正解したことがない。推理ファンとしてはまあ落第生なのだが、作者の手により明かされる真相を楽しむ、という点では、及第をもらえよう。

本作は、自身の生まれもった性別と才覚の齟齬に悩んだことのある女性には、心のささくれを撫でられる思いで読める。
実に味わい深い時代小説でもあるので、漢文は苦手と思っている人には、
「そこはすっとばして読んでも大丈夫」
とオススメしたい。

アニメ的な少女の描写について言及するレビューもある。「そういうのに慣れてる」ひとからすれば、特段の意を向けるレベルではない。
「こういう描写を多用する作者が見てたアニメ作品って……?」
そこは気になるといえば、なる。だが大陸におけるジャパニメーションの受容は、また別の文脈であろう。
『前漢時代の少女がどういう情動を覚え、どんな行動をとったと描写されるか』なんて、80-90年代のジャパニメーションのノリと同じくらい『現実感がない』。もう「そういうノリで生きてただろうキャラ」として納得するほうがいい。
『三国志演義』のたいへん豊かなバリエーション展開(注:表現を婉曲にしています)をもつ日本の漫画・アニメ・ゲーム文化を楽しめるひとが、アニメ的な少女の描写ごときで作品評価を左右するのも、理の通らない話ではないだろうか?

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