一年経った夏至の日に『ミッドサマー』 感想

注意:もう一年も経過したんだし、必要ない気もしますが、本投稿にはネタバレの内容が含まれています。

 横溝正史の代わりに、スウェーデンにはアリ・アスターが居ました。
 人間の五感はたやすくだますことができ、共感はもっと簡単に人を操ることができます。
 『ミッドサマー』は最高に後味が悪い、かつ見ていても気分が悪いという映画です。

 結局ダニーは、Twitterで誰かが指摘してましたが、『過去の恋人からは決別したけど、自立したわけじゃない。むしろホルガ村に新しく依存するようになった』だけですし。

 女性ならでは、という言い方は好みませんが、ダニー選抜の時点から、いかに花と陽光にで画面を可愛く彩って居ようとも、『女性同士の演技に満ちた同調圧力』って意味では、この映画はまごう事無きホラー映画です。

 あと、クリスチャンが下衆に描かれてますが、『不安障害で電話しょっちゅう、ダチとつるんで何かするってときに、空気全く読め/まない感じのダニー』が、彼にとって素敵な恋人か?っていうとそれもまた考える話。
『ミッドサマー』が、多くの人に共感/反論を呼び起こす要素を沢山持っているがゆえに、ホラー嫌いにも受けた。

 一方、ホラー好きには間違いなく「一番先に死にそうな若い女が生き残る」とか、「絶叫してから死なないどころか、それ以降のほうが地獄」とか、イイ感じに裏切られるのが楽しいと思います。

 ホルガ村とカルトの共通点の多さにはぞっとします。「あっちで一緒に『オースティンパワーズ』の映画見る?」と誘ってくるフレンドリーさ。
えっあんなお下品ギャグ映画をいいの、……と思うと、警戒ハードルが下がるでしょう?

 ただ違う点もあって。
 カルトには、大抵『教祖様』がいます。
 ホルガ村は『伝統にのっとった暮らし』という漠然とした、だからこそ抵抗しづらい枠組みがある。

 どのみち取り込まれて、価値観をともに持ち続けられればそれは『救済』なんでしょうけど。特に、ムラの外が悲惨であればあるほど(ダニーの妹は自殺した)、中は居心地よい事でしょう。

 見ていて気分が悪い、という『サマーウォーズ』との共通点として挙げます。

 田舎特有の慣習や人間関係の濃さ、法律軽視(サマウォでは個人情報遠慮なくぶち抜いてましたし、言っちゃいけない守秘義務違反や職権乱用が見受けられますね。あーゆーのに登場人物の誰も反論しないで受け入れてる雰囲気、見ていて大っ嫌いです)。
 ”そういうの”が大嫌いで、都会暮らしの非干渉を良しとし、自分の背負い込んだ悲しみ苦しみも自分で向かい合うしかない。

 という近代社会の人にとっては、『ミッドサマー』で提示される
「徹底的にこのムラの慣習に同化すれば、一緒に嘆き悲しんでくれる仲間ができるよ。君の重荷は軽くなるよ。ただし、君という個性は無くなるね。でもそれは軽微な副作用じゃないか?」
 という救済案が、まさに唾棄すべき恐怖、ホラーですな。後述しますが、真社会性動物と同じレベルになってまで、救われたいのかと。

 ミッドサマーとカルトの比較。カルトならまだ逃げようもありますが、あの映画だと
・僻地なので、徒歩脱出とか無理
・ドラッグが仕込まれてる
・人数比的に抵抗できない
 という三役そろってる。
『同意するもしないもない』
 有無を言わせない状況なんですよ。

 ムラ(閉鎖共同体という意味なので、”ムラ”と表記)が『正常』としているルールも、いびつです。

「人は生きて死に、人も動物も植物も、その生死について直面するのが自然なこと」
 ここまでは、私も仏教を信頼するツールとしているので、「是」と申します。

「人間も動物の一種、だから成長したら生殖行為を行って子をなすべき。なせない者は自然から排除し、食料となるべき」
 ここで「ん?」という疑念が湧きます。まして、
「種の存続行為をみんなで見守り、そこには愛も情も色も無い」
 となると、「イヤイヤちょっと待って待って?」と思うのですよ。
 わたくし自身はロマンティックラブイデオロギーに懐疑的だし、人肉性愛には用のない人間だとしても、えっ待って、と。
 そこで「えっ待って」が言いだせない、置き去りにされる恐怖、見捨てられ不安でいっぱいな不安定なダニーに、『救済策』のように提示されるのは不公平だなって思いました。

 写真の数的に居ないとオカシイ「これまでのメイ・クイーン」が作中に登場してないことから、あのホルガ村には、真社会性動物(蟻やミツバチ)に似たものを感じます。
 ミツバチの例を挙げれば、女王の仕事は年に数回の生殖飛行をし、後はひたすら出産。用済みになった雄バチは捨てられる。ミツバチの女王は、一年経ったら後継者の新女王が誕生した際、今までいた巣を新女王に譲って旅だち、新たな巣を作ります。
 でももしかして、ホルガ村では『鮮度の落ちたメイ・クイーンにはご勇退願ったのでは』……という疑念が拭い去れませんね。

 ミッドサマーの、村人が見せる共感も、『気持ちが悪い』のです。うがった見方をすれば
『社会的承認』
 という最も人間らしい欲求を叶えるために、それ以外の欲求に伴う行動が動物レベルに貶められている共同体の、要求する行動ルーチンでしかない。
 『皆が同じように』あえぎ、泣き、叫ぶのです。一人ぐらい静かに頷いて同意をしめしたり、肩をたたいたりは、『決して』しない。それって不気味だと感じませんか。
 沢山の人がいるのに、全員まったく同じように反応するってことは、無反応と同じくらい不気味なんですよ。

 『羊たちの沈黙』にでてくる食人趣味のハンニバル・レクター博士は魅力的な悪人ですが、彼がホルガ村を訪問したら、
「ここに人間は居ない、豚が豚を生産する豚工場だ」
 と感想を述べるのではないかしら……と、私は思っています。

 ミッドサマーの主人公は、元々抗不安薬が手放せないトラウマ持ちさんですから……、あの『ヤクキメて草原にひっくり返ったシーン以降は全部主人公の妄想でしたEND』だったら一番平和なのに。

 ミッドサマーの唯一、懸念する点。
 アリ・アスター監督は、ダニーを自分の分身、恋愛観は自分の失恋経験から描いた、って言って済ませていますが。
 あの村の『理念』に『共感』して、現実界でも実践しようとするカルト依存な人々がでてこないことだけを、私はつよく願っておりますよ。

 実際「透析患者は自己責任だ」みたいな話に、そうだそうだと頷いちゃうヒトが日本にも居る以上、
「72歳の冬を超えて生き残った人、かわいそう論」
 に耐えられる、自分のことばで反駁できる信念の持ち主はどれほどいる事か。


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