近視眼的に怒るひとたち

安倍元首相が襲撃され、逝去しました。
故人のご冥福をお祈りいたします。

……という事件がおきてわずか1日だというのに、Twitterで手入れを怠らない(つまりあまりにも怒りや憎しみ、冷笑、誤情報をまき散らすタイプはフォロー外してるってこと)TLにも、近視眼的に怒る人が散見されるようになりました。

私のスタンスはいつもと一緒。
まず故人の冥福を祈れ。
次に自分の身体と心を守れ。
近視眼的に、何か単一の物事をたたいて良いとするんじゃない。

最後の懸念については、いつも言ってる通り。
『凶行』に走る人間は、自分と同じだってこと。モンスターじゃない。自分が、もう3つか更にいくつか、『不幸な偶然や環境』が重なってたら、同じ凶行に走ったのではないか?
って考えること。

だから、今回のタイトルみたいな記事を書く羽目になる。
左派リベラルや安倍嫌いを叫んでた人たちを、嫌いなあまり、『安倍死ね』とか安易に言ってる言論が悪い、と攻撃に走る人が多くみられること。
分類的には、

1.創作物の自由をあんま真剣に考えてないけど、自分の好きなものを攻撃されたら守りに入るタイプ。(真剣に考えてないので、自分と関係ない人間の『凶行は***のせいだ』に飛びついた結果、言論の自由の制限につながる可能性とか考えてない)

2.パニックや精神の防御反応から、単一の『凶行は***のせいだ』に飛びつくタイプ。陰謀論ウォッチャーや国語教師などが見受けられた。でも本を出すような人は、この手の単一『***のせいだ』には飛びついてなかった。

の2つかな。

創作物の自由をガチに考えてるひとは、「凶行に走るにしても単一の何かが背中を押した訳ではない」ということをちゃんと理解してた。鷹見一幸氏とか(https://twitter.com/takamikazuyuki/status/1545576042970349568?s=20&t=QezuoI2Ij6enTeBUrleTTg)。

誰かの集団や、何かしら過激な言動を『責める』行為が、精神的な防御反応であり、過去のトラウマ持ちには良くないことだ、と分かってる精神医療クラスタや、自分のトラウマと向き合ってるサバイバー勢は、
「テレビを消して、特定ワードをミュートし、ご飯食べて寝る、自分を守れ」
というメッセージを発してた。

私が言いたいのはまさにそれ。今は自分の心の平安を保て。
単一の何かを攻撃する、近視眼的な言動を慎むべき。なぜなら、『凶行』に走らせる原因は複数の物事が組み合わさっているから。そこを無視して、何かや誰かの行動を『責め』ても、ほんとに改めるべき何かや誰かの行動は放置されたままになる。

(そして。何より悪いのは、私たちのこういう近視眼的な行動が、若い方々やほかの人々への行動モデルになってしまうことだ)

最後に、いいな、と思ったブログ記事を貼っておくよ。良かったらお読みになって。

https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/2022/07/09/032712

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