解説『歌聴キニ捧ゲル歌詞』

本日、ピアプロに投稿しました!

『歌聴キニ捧ゲル歌詞』
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 ボカロ界隈でも、「歌詞にR18は不適切」って言いだす人は居る訳です。
 私が見かけたTL上の言説は、ラウドネス規制に合わせたミックスの変更に絡めて、コンテンツ内容の変化を指摘し、再生数を追う数字ゲームを軽蔑しているようでした。ただ、この人の言説が支持されるだろう理由は、まさに自分が再生数という数字に支えられてのことだという事実を、私は指摘しておきたい。
 そういう話に流れる人は、単に保守化、家族観の(嘘)伝統への回帰なのではなく。
「自分自身で徹底的に物事の道理を突き詰め、身近な人との利害衝突を対話で明らかにしながら、物別れであろうとも殺し合いに発展しない程度の対立で結論を出す」
という正義や倫理が面倒くさいからだと、私は考えます

 身近な事例で言えば、承認に飢えた青少年が、自分より頭が回って魅力的な大人にのせられて、『自撮りヌード』を渡してしまう事件があったとしましょう(ある)。そこで、「面倒臭い」の人はこう言います
「ガキどもからスマホを取り上げろ、PCを使わせるな、免許制にしろ」
と。
 ですが、それは『対症療法』じみた乱暴な制限でしかない。そもそもの発端である、『承認に飢えた』状態を何とかしていないから、スマホを取り上げても、別の大人がすり寄って来たらまた、別の方法で別の事件に巻き込まれるでしょう。
 表面上の制限で、『健全育成』していますというアリバイは作れます。香川県のスマホ・PC・タブレットの『実質使用規制』条例とかね。
 深層では何も解決していない。
 ただマーケティングとして、「面倒臭い大人世代」への受けがいい言説です。本来なら青少年に向き合い、対話するべき人たちに、
「あなたは悪くない、面倒なことはせず、条例を作って運用を行政に任せていればいいのだ」
と阿って居れば儲けは転がり込む。


 多くの人にとって、『自分で善悪を判断しなさい』という自由は面倒臭い。だから簡単に参照できる『常識』『普通』というルールは、一定の支持を得る。私だって、時には「常識から言って…」と言うことがあるほどです。
 ですが、向かい合うべきは根本のものごと、人の抱える生きにくさの問題です。そこに向かい合わず、一つ一つは細かな『常識』『普通』で『考えればすぐわかる事』と説明を回避する態度は、およそ倫理的ではない。正しさとは何か、理性的なふるまいとは何か、自らの行いでもって若い人たちにモデルを示す「大人の態度」ではなかろう、と考えます。


 単に保守的な価値観、家父長主義(主張する人の男女問わず、他の人を未熟な人、劣った判断力のひとと見做して、保護してあげましょう教導しましょうという主義のこと)に、最初から立脚しているヒトはあまりいますまい。
 むしろ若い人が、『何故それが自由を重んじる立場から否定されるのか』を深く考えずに、
「佳きもの、善なる規範を『自分なりに考えた結果』たどりついたのだ!」
と開眼しちゃったのが、
「他メディアでR-18規制があるんだから、ボカロ歌詞も自主規制すべき案」
なんだろうなーと、ほろ苦く怒ってます。
 権威主義と日和見主義の悪魔合体、という指摘を別件でみた覚えがあります。本件に関しては、
『自分が権威になりたい、正義の側に立って褒められたい』
 という欲望も見え隠れしている。私はそう感じます。
 
 ここでバッカジャナイノーと嘲笑するのは私の本質に反する行いですので、
『歌聴キニ捧ゲル歌詞』をピアプロに投稿しました。
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歌聴キニ捧ゲル歌詞
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