(以下の文章は、『ドラゴンクエストX』オンラインの冒険日誌に、キリミサカナとして書いた文章をそのまま転載しております。ゲーム内用語や理解しにくい経緯の表現があるのは、あらかじめご了承くださいね。)
「ゲームの中くらい」という言葉のあと、どのように価値観が現れるだろか、考えたことは有るカボ?
っていうのもな。
「ゲームの中くらい」っていったあと、
「現実世界では制約がある。そこでは実現不可能な贅沢や快楽追求がしたい」
というタイプと、
「現実世界では制約がある。そこでは実現不可能な清貧と徳の追求がしたい」
というタイプが二極分解するからさ。実際には、その間のグラデーションが混在してるのだけど。
色々すっ飛ばした結論:
1.どこにチーム集会所が移動しようが、「共有タンス」と「共有ベッド」があれば文句はないカボ。
2.リーダー交替?誰が担当しても異議はないカボ。積極的賛意もないが、それは『ぼっちーむ』だからさ。
3.一連の意見陳述で見えてきた各人の価値観は、尊重するカボ。
カボは平和主義者だ。そこに友情はなくとも、「どうしてそのようにふるまうのか、背景は理解した。やっぱり嫌いだ、好きにはなれない、そういう事もある。でも闘争せずに付き合うしかないから、お互い喉元に噛みつくのは無しにしよう」というのが平和だと、考えてるカボ。そこに正義が感じられず、すっきりもせず、気持ちよくもないかも知れないが、平和を貴ぶカボよ。
『きゅーとなカボチャ僧侶』というより、プレイヤー自身の本質が、ブッディストでストア主義哲学の徒ゆえ、カボは後者。
「なにものにも拘泥せず、飄々と水のように適応する」のを、いいプレイスタイルだと考えてるカボよ。
一番解り易いキャラクターを出すなら、それは『ムーミン谷』シリーズの『スナフキン』って感じかな。
あのシリーズ、作者自身が女性を愛する女性としてすっごく興味深い、深い思想と風刺の精神をもった人カボが……まあそれはおいといて、カボ。
なにものにも拘泥しない。
数秒というか、1分足らずの距離をはしりゃーどーとでもなる『バザーやその他施設の配置』。
25ゴールドだしゃあ着く町の日替わりクエ。当初の100ゴールドに比べたら1/4カボよ。
バザーに至っては、今度の世界バザー統一のおかげで、大陸ごとの価格を悩む必要すらなくなった。
こうしたことに『強くこだわる』プレイヤーが居るってこと自体に、今回えらい驚いたカボ。
カボは、自分がどこの住宅村に住むかってことを、こだわらない。少なくとも、選択の自由があるんだから。
選べる範囲内で自分の好みに合ってれば、そこに文句いう理由は無いし、変えたければ変えるための努力はする。そして、自助の努力もせず、変更を運営に求めるべき筋の話はどこにもない。(土地業者は大っ嫌いだけど、彼らを大儲けさせないために自分で工夫することはできるよねっ、てこと)
だからだな。
チーム集会所の異動あとに出てきた『ぼっちーむらしさ』への『こだわり』と、その後『サブリに何も相談なしで』発議された『リーダー交替』には、正直戸惑いを禁じ得ないんだカボ。
ニンゲンが人間らしーいことを言ったりしたからといって、驚いたり狼狽するのは、まことにカボの未熟というものだな。わが師の教えるストア主義哲学の道は、未だ遠い。
カボの未熟はさておき、だ。
ゲーム内に存在する価値は、どこにも持って行けない。
僕たちはそのうち、眼や耳は感覚が鈍るし、指は反応が遅くなる。そして最後に息と手足が止まるとき、持っていけるのは、共有した経験と記憶だけカボよ。
ゲーム内で共有した経験を、大事にすることはできるけど、逆に言えば、大事にしなかった、されなかったとしても、拘らずに放りだしていける。
というわけで、さっきの『色々すっとばした結論』カボ。
現実世界では様々な物理制約があって、実現できないことが多いんだ。清らにして、善き人として生きることや、徳、とくに慈悲と献身、寛容の徳を追求することとかな。
というわけで、さっきの『色々すっとばした結論』カボ。
現実世界では様々な物理制約があって、実現できないことが多いんだ。清らにして、善き人として生きることや、徳、とくに慈悲と献身、寛容の徳を追求することとかな。
ゲーム内でくらい、そういうのを実践してみたい。実際には色んなモノゴトを自由に選べない、苦痛の記憶と他人からの偏見に満ちた人生。セクマイとして、サバイバーとして生きるってのは、結構重たいんだ。偏見うけたら、攻撃されたらやり返しまくって、怒りの精霊に憑りつかれたように反論し、関係性の薄い連中の無理解と無慈悲にイライラしながら、場合によっては沈黙し、それで得るのは自己満足の孤独ってのはよぅ。
そんなんを放り出して、『軽やかに飄々と遊ぶプレイヤー』らしく楽しんでゆきたいもんだよ。
君は、どうだい?