コストをかけて体裁をきれいなものにしないと聴いてもらえないからボカロPがつらいという話

私は絵師(たまに作詞)なので、本当に本気でその戦場のことは分からないんですが。

「ニコ動やYouTubeで初日500再生以上、100マイリス目指す」

のなら、相応のコスト(まず流行りを押さえるセンス、作曲、作詞、絵、動画素材、機材、などなどの技量と、自前で賄えない分は外注コスト)はかけるべきです。もうこれはボカロPとして攻めてる活動してるひとが、それを行ってるから、第三者の私にもこうすべき、と言えるお話です。

ですが。

「そもそもお前、何が欲しくてボカロ曲やってんの?」

に即答できないなら、まず『コスト』を掛けるべきかどうかの前に、

「何が欲しくて音楽やってんの?
何が君の幸せ?
何をして/されて喜ぶ?」

答えられるようになりましょうね。という話はします。

どういう風に『心の基本設定』をしていても、再生数やマイリスト数の『数字』は否応なく出ますからね。

「数字はいくつもある指標の一つ。自分が目指す音楽を、その時の最良の形で出せたらOK」
なのか、
「自分の節を曲げてでも、数字を10でも20でも多く上げたい、それが自分の承認欲求をなだめてくれる」
のか。

前者のように、「その時の最良の形」を作るのなら。 そのために、自分の持ってる資産や技量だけで頑張るのか。あるいは金銭を代価に、他の技能持ち(絵を描いたり動画つくったり)にも外注するのか。
「最良の形で出せたらOK」 なんだったら、コストに文句言うなってお話ですよ。

「自分の節を曲げてでも、数字を10でも20でも多く上げたい、それが自分の承認欲求をなだめてくれる」
のであれば、 「本当はもっとコレコレやりたかった」とか「外注コスト高い」とか、当然言うべきは無いでしょう。
自分の欲望を叶えるために、無償で何かをしてもらおうって考えは、怠慢で強欲。

つまり『自分の欲望』の軸足をどこに置いていようが、 『それを叶えるために』他人の技量や資産を利用するのなら、相応のコストは差し出しましょう。

『あー、カレー作りたいなー、うちの畑で人参と玉葱とジャガイモはできるけど、牛肉がねーなー』とか言って、『無料で牛肉くれ!』とか言われても、誰がやるかって話ですよ。

それこそハガレンでいう『等価交換の法則』ですし、私がいつも言ってるように、

「欲しいものは、自分で汗出し、アイデアだし、カネ出して作れ」

です。 労力、知的能力、金銭他のコストを払えという意味。

40年前は専属のスタジオ持ってる音楽プロデューサーや会社しかできなかったことが、一般人にも購入可能な機材になった御世だから。
欲望の叶え方も多種多様になった。
諦めるという選択肢を取りづらくなった。

少欲知足(欲望を少なく、足りることを知れ。いまだ得られていないものを欲しないことであり、すでに得られたものに満足し心が穏やかであること。)と言うけど。
欲望のコントロールや、現状の自分ではできないことを諦めて現状に満足する、コスト払わずに叶えられる部分で満足する……といったことが、やり辛い世の中になった、のは認めます。

その戦場を選んだんなら、装備も当然整えるべきで。

ただ時代経過および視聴者層の成熟(というか要求の高度化)は勘案すべき。 けど、そこは私の主戦場ではない(むしろ主戦場としてる人の方が、主張に妥当性があると思う)(それはそれとして牛肉は無料提供したくないです。無料提供してる人が玉石混交で投稿サイトにいっぱいいますから、無料のナニカが欲しい方はそちらへどうぞです。)

/* それとはまっったく別軸で、絵師としては あのボカロPからは、依頼を受けたくないですね。 と思い定めました。 動画の数字が伸びなかったらこっちのせいにされそうじゃん。 */

/* ちなみにAI生成画像で動画を世に出すのも、今のところ法規制も何もないけど。
『多くの人々、その話題には詳しくないけどなんとなくこう思う』 のお気持ちは、『AI絵って、人権侵害とか著作権侵害で成り立ってるシロモノ』に傾いてる。
この『シロモノ』扱いがもっと悪化するリスクを、敢えて踏み込むほどのものか? って思います */