選択的夫婦別姓のお話

同姓にしたい人はすればいいし、別姓にしたい人は別姓でいいのです。
夫婦同性支持者の「家族絆論」は、ピンと来ぬ人間には全くピンとこないお話。

父方でも母方でも、父母合体名字でもOK、かつ、生来の名前に不服の場合は本人申し立てで変更可能な、「個が尊重される」カナダみたいな国もあります。

というより、”How to change your first/last name” というタイトルで、国名を入れて検索しましょう。たくさんの国が、「手数料を払って、書類を書けば変更OK」です。
日本のように、「変更できない」戸籍制度を採用している国が少ないとも申します。

「家族の価値観」と「統一名字」は必ずしも連携する話題ではありません。

夫婦別姓への反応や、あるいは最近の体罰をめぐる反応をみても感じること。それは、ある種の「不自由」さを自明のものとして受け入れてきた人にとって、その「不自由」を是正しようとする動きというのは、自分たちが依ってきた支柱を破壊されるような恐怖を感じさせられるものであるのかも。という推論です。
体罰を受けて育ってきた者は、体罰を受けたことを肯定しなくては、自分の自尊心を保てない。恩師を恩師と呼びつづけることができない。
不自由な「同姓」を受け入れてきた者は、次の世代が自由に「別姓も選べる」選択肢を享受するのを、指をくわえて見つめることができない。

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