この国で自殺者が減らないわけ:少し黒い表現も交えた話

【講習会を受けた人の陥穽】

・講習会で見聞きした悲惨な事例と比較してしまう。

「講習会の事例と比べて、身近な人の主張することはささいなことだ。それは単なる甘え/わがままである」

・仕事あるいはビジネスに置いては、個人を抑圧することを美徳とみなす。それが人権侵害かどうかということを検討しない。

「他の〇〇さんだって色々我慢しているのに、そんな理屈は通らないよ」

・少数派に関わるときは、警戒心を持って関わらなくてはいけない、という意識を持って、見下しあるいは排除の論理が働くようになる。

「何さんはXXだから、なになにできないんだよね」

 

少数派側と多数派側の利害調整は大変です。必ず正解が存在するとは限りません。しかし、

「いつどこで誰がどのような状態に置かれても、多数派であろうが少数派であろうが、守られるべきもの」

という原点が人権と言う奴です。

切身魚の昼ご飯(お弁当)が、肉食魚食をする人にとってはおいしくなさそうに見えるのと同様に。

肉食魚食をする人の飯が、切身魚にとってはおいしくなさそうに見えます。

虫を食べる文化の人には、おいしそうに見えるものでも、それを食べない文化の人にとっては、

『 (嫌いな大きい虫の名前)の丸焼き、(嫌いな細長い虫の名前)のスパゲッティー、(嫌いな小さい虫の名前)の炊き込みご飯』

が美味しく見えない、できることなら食べたくない、と思えるのと同じようなものです。

そして、ここが重要なところです。

 

仮に誰かが、 「仕事であればそれですら食べる」ことができたとしても、他の人はそのダメージが致命的なものになるかもしれない。

だから、 「誰それが我慢できた」ことを理由にして、他の人にもその我慢を要求してはいけないのです。

 

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