『差別の問題』にしてはいけない例

いつか書きましたように。私たちは、この情報拡散がとても容易にでき、交換できるファイル容量が日進月歩、倍増している世界に生きています。
ある情報の分野ではその恩恵をむさぼりながら、別の情報の分野では
「私個人が嫌悪するので、法律ねじまげてでも、税金投入してでも、情報シャットアウトしろ」
とは、どういうことでしょうか?
それは、我がままな、偏った主張です。
我がままな、偏った主張でも、『主張する自由』は万人に平等にあります。でも、世の中にはそのような我儘主張よりも、もっと差し迫って、優先度の高い、解決すべき苦難がたくさんあります。
法改正や税金の投入、議会チェックの入らない独立行政法人の創設といったことに、費やせる資源はありません。

いつだったか、著作権侵害なのでRTはしませんでしたけれど、『エスパー魔美』のワンシーンが私の論拠です。
「絵描きが、批評家にけなされた。絵描きは怒った。それで終わり」
このセリフには、深い含意を感じました。
第三者が「原作者の不快を推察し」、
それを「根拠にして」、
「第三者自身の主張」を、
「他のひとに強制する」ことは許せないよ。
そういう含意があるのではないか、と。

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