スピンアウト作品:ブルダスフ

幻覚に疑問

(少しか、もっと時間が経ったのか)
ヒューヒューと、自分の喉が鳴る。呼吸している。できている。
つまりは、まだ生きてるってことで、それにしてはふわふわとした良い心地だ。寝台とも違う。人の腕に抱きかかえられているような感じでもないが、
「死ぬな、死ぬなマリュフ、死ぬなったら、俺のせいで死ぬな!」
と、耳元で魔術師ナナエが叫んでる。口調からすると叫んでいるが、ずいぶん小さく聞こえる。
首の後ろが温かい。それに、両手足を脱力した形のまま、後ろから抱きかかえられてるじゃないか。真っ白い長い触手が支えてる。全身をくるむ繭のように、白い手がしっかりと束を作っている。
(ああ、ナナエか)
触手種族の本体が、背中側から手足まで、ぴたりとくっつくようにマリュフの体を支えている。
指の間にしっかり入り込んだ『手』が、火傷した掌をいたわるように撫でていて、ひんやりと気持ちがいい。
頬に落ちる温かい水滴。

(お前、泣いてるの)

(馬鹿だなぁ、アタシはほら、もう起きられるって)

薄目をはっきりとあけると、
「あ、起きた?」
八重歯を見せて、魔術師ナナエが笑っていた。
こちらをのぞき込む四十くらいの男の笑顔と、金色の目をしたヒトのようにも見える鳥、その背後に陽ざしを透かして揺れる緑の梢。手のなかには、ヒト型にした男の手。
自分は塔の前の小さな草地に横たわっているんだ、と気づいた。
「ああ……起きたが」
手をあげて、魔術師ナナエの頬をたどってみる。乾いている皮膚。面白そうな視線が、目元まで丹念に探っていく指先を追いかける。さらりとした皮膚をたどっていく。さっき、遠くから叫ぶようにして泣いてたと思ったのだが。
しまいにはナナノナナエニヒトツカケが、子犬のように鼻先をすり寄せてきたので、あきらめた。どのみち、まだ本調子ではない。手を持ち上げてるだけで腕がきつい。
(変だな)
と思ったが、
「御免な、マリュフ。吾輩のミスで死なせかけた。ほんっと、申し訳ない」
という謝罪に、物思いも中断せざるを得ない。
「いや、立ち入り禁止と言われたのを、破ったのはこっちだし」
頭を起こそうとして、額を細い枝のような『手』に押さえられた。
まだ起きないほうがいいらしい。
溜息をついて、草の上に頭を戻す。
「火事か何かかと思って、飛び込んだ。お前はパン焼きだって大変そうだったし」
「あー、うん、高熱は、なぁ。お肌の水分の大敵。こーやって白くしてるのも、反射率向上のためなのさ……って、まさかそれが理由?」
食って掛かるような問いかけに、逆にマリュフのほうが驚いた。
「違うのか?」
「ええーっとおー」
違うとも違わないとも言えないー、と妙に歯切れが悪い。
「苦手だけど、きちんと手順を踏んで防護してれば我慢できないわけじゃない、かな。ウン、吾輩はまだ色々説明不足だったな」
灰色の髪を肩から首の後ろへかき上げて、ナナノナナエニヒトツカケは顔をしかめた。
「今回みたいな時は、特に気をつけて熱を防ぐんだ。その代わり、ニンゲンっぽくなくなる。例えば、表皮を固いなめし革のようにしたり。水も空気も必要ないように、呼吸をしないで済むようにしたり……そのせいで、君を死なせかけた。俺のミスだわ……ホントーに、ごめん……」
声のトーンがだんだん下がってくるのに気づいて、
「そんなこと!ないっ…て……」
起き上がりかけ、眩暈に顔をしかめ、マリュフがまた頭を倒した。
「ほい、深呼吸しろって。まだ血中酸素濃度は低いんだから」
ぽんぽん、と肩を叩かれて、律儀に反論しようとした言葉が、うめき声になってしまった。
「うー……」
「Gluuryu-Uuu-u?」
呻いていると、猛禽の目がのぞき込む。
「ほら、娘が心配したじゃねーか」
「……お前のせいばかりじゃ、ないって、言いたかったんだ」
「わーってる、わーかってるって。でも、割合でいやあ七対三で吾輩のミスかな。うん」
「三がお前?」
「七が吾輩だよ」
「嘘つけ」
「いやいや、吾輩のほうが手の数も多いんだから、ミスの数も倍以上多いって計算さ」
ひひひ、とローブの袖から真っ白い触手を数本揺らめかせてみせる魔術師ナナエ。
付き合ってひとしきり笑わされて、呼吸が落ち着いた頃に肩を貸してもらって、やっとマリュフは立ち上がった。ブーツの靴底がパリパリと音を立てた以外、おかしな部分は感じられない。
(魔術師ナナエが泣いてた?よな?)
自分の見たものを疑い始めてしまう。息ができないから溺れ死ぬ、なんて、単に窒息してる状態を勘違いしたくらいだし。
幻覚だったのかな、と耳の横を掻いたとき、指先に濡れた感触があった。

嘘が目に余るようなら殴ろうと思っていたが、今回は大目に見てやろう。

 

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