『火星の人類学者』感想

本書の刊行は26年も前なので、古さを感じる部分はある。
それを差し引いても、一般読者に”当事者の世界”を触れさせる良書なので星5つとした。

火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF) オリヴァー サックス https://www.amazon.co.jp/dp/415050251X/

原著”An antholopulogist on Mars”が出版されたのは1995年、日本語版出版は1997年。
現時点(2021年)からみれば26年間、精神医学、脳神経科学は日進月歩の進歩を遂げてきた。現代の最新知見を持つ読者からみれば、
「四半世紀前はこんなものだったのか」
と、落胆や不満も持つ内容である。

とりわけ、当時よりははっきりしてきた発達障害への理解を踏まえると、

「抱きしめが大事とかいう理論はお前のせいかぁあああ!」

と、どなりたくなるようなエピソードもある。それがタイトルにもなった『火星の人類学者』である。
著者および協力した人々の名誉のために付け加えるなら、『抱きしめが大事』は「ひとつのアプローチ」として提言されているものの、提言した当事者でさえ「それが万能」とは考えていない。

しかし、親というものは、不安を抱きがちな生き物だ。

「子供が障害になるのは、自分たちの育て方のせいでは?」

と、藁にも縋る思いの人々を餌にする、偽科学が悪い。また、そういうのに公共サービスの保健師や助産師がはまるのも悪い。彼らには適切な医学知識と、職業倫理が欠けている。

評者はとりわけ、『色覚異常の画家』のエピソードに感銘を受けた。自分でもイラストをものするので、色の感触が消えうせ、微妙な階調が見分けられなくなったらと思うと……正直、ぞっとする。
だが、エピソードで紹介された画家は、確かに悲嘆し、非常な苦しみを受け、時間をかけながら、それでも新たな視覚と付き合っていくことを学んだ。
これをコーンの分類「障害受容のプロセス」でいう

『ショック→回復への期待→悲嘆→防衛→適応』

といった一般化・抽象化した言葉で表現すると、大事なものが欠けてしまうだろう。大事なもの、それは『当事者の感情、経験』とでもいうべき、何かである。

そして、自閉症には顕著だが、「余人には、全く存在ないように見える」感情や経験の内面化も、本書収録のエピソード『神童たち』からは感じられるのである。
たとえ、筆者オリヴァー・サックスおよび定型発達で健常者諸君の世界からは、『不足』『不十分』『未満』であろうとも、だ。

評者自身も、ASD的な側面をいくばくか持っているため、「火星の人類学者のような」気分はよく理解できる。人数が逆転していれば、定型発達で健常者諸君こそ
「観察と治療と適応学習を促すべき世界」
の住人だという思いを新たにした。

この視点の有無は、ともすれば「まず、憐みありき」で人権を口にする人々への、よき試金石となろう。
たんなる医学的のぞき趣味ではなく、自分自身に引き付けて読んでみることをお勧めしたい。

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