スピンアウト作品:魔術師ナナエと女傭兵

うまくやれる仕事

ひときわ大きく馬車が揺れ、マリュフは眠りから覚めた。
ドアの外からさす光からして、午後おそく。オレンジ色になる直前の陽光が、開け放たれたドアの向こうの石畳を照らしている。この地方独特の黄色がかった白い石でできた石畳は、目をくらませるほど眩しい。風雨にさらされてすり減った石の向こうには、同じ石を膝の高さに積み上げた壁がある。
壁の上部は、女傭兵の身長の二倍はある、鉄格子で仕切られていた。格子の奥は植物が生い茂っているが、良く見えない。樹上から、羊歯の影から、鳥の声がにぎやかに降り注いでいる。
どう考えても、市の城壁内ではないのだが……。
「ほい、降りた降りた」
男の声が降ってきたのと同時に、正面から抱えるように抱き上げられたのを知って、マリュフは体を固くした。男の肩に上半身を預けるように姿勢を変えられる。
(なんだこれは、ここはどう見てもヤッリル市ではない)
声を出そうとして、喉の奥が痛くてたまらないことに気づいた。吸う息が刺すように冷たく、吐く息は炎のように熱い。
「≪剣の貴婦人≫殿、貴女は熱があるんだ。吾輩の塔に泊まってけ。≪魔術師ナナエ≫様が治療してやんよ」
見て取る、というより手触りで、男の着けたローブがニェワンウン産の細かな刺繍を施した絹だと気づいた。自分で名乗っている通り、魔術師なのか。
御者がまだ何か言っているらしい、くぐもった声がしたのへ、≪魔術師ナナエ≫と名乗った男は、
「だからこの病気はうつりゃせん、つーとろうが。万一お前さんに異常がでてきたら、遠慮なく塔を訪ねてこい。補償金つきで責任もって治療してやるわい」
と再度繰り返した。
馬たちの蹄が、石畳を蹴る音が遠くなっていく。
≪魔術師ナナエ≫がいちど、しゃがみこんで立ち上がった。
「荷物はこれっきりか?すぐ横にしてやるから、ちょっとだけ我慢せーよ」
その言葉に目を閉じたマリュフは、微睡むように気を失っていた。

男性ならば、本来の名の最初の一子音を取り去り、F音を充てて書き換える。
女性ならば、本来の名の最初の一子音を取り去り、M音を充てて書き換える。
もし本来の名の第一音が母音であれば、最初の子音の後ろに第一音を入れ、その後R音を加える。男性ならばF、第一母音、Rで始まり、女性ならばM、第一母音、Rから始まる。
そして、本来の名、諱(いみな)は、生後20日のうちに、両親または直近の親族の手でジオマンシーによって決定される。

「ソレガオマエノイミナカー……」

どこかから声がする。何を言っているのか、意味が判然としない。
マリュフの全身は、温かい泡のようなものに、包まれている。プツプツと泡がはじけ、くすぐったさに身をよじりたくなる。
「おい、まだ動くな。ヒフヲサイセイシカケナンダカラ」
誰かがたしなめる声がした。交易語なのに、なんだか異国の人の言葉のようだ。バン・チオンの島言葉とも違う。笑い声を立てたかったが、息を吸おうとして唇がうまく動かないのに気が付いた。
目を開こうとしても、瞼は張り付いたように動かない。髪の毛がふわふわしていて、温かい湯のようなものが、体の周りを巡って緩やかに動くのを感じる。
(困ったなぁ溺れるんじゃないか?)
自分が裸身なことより、そっちのほうが気になる。
「あとはオマエジシンノタイリョクデカイフクデキルナ」

お前自身の体力で回復できるな。

耳で聞いたというより、頭の中でじかに話されたような言葉が、パチッと意味を持った。
回復できる、と。
回復。
喉の痛み。
食わないとさらに衰弱すると、痛みをひたすら耐えながら食事したのだ。
回復の兆しもあるだろうか、と希望を持ちながら、熱にうかされて眠り、目覚めては失望したのだ。
その言葉は、どんな慰めより心が安らいだ。
「モウスコシネムッテロ、ユメデモミナガラ」

夢でも見ながら。

頭を撫でる手の存在を感じながら、マリュフは夢を見始めた。

バン・チオンの島は、人の数が少ない。平地があまりないので、米や麦ではなくヤム芋が主食。酒は芋のサケから蒸留した蒸留酒。暑い土地。狩りや漁にでる大人達、穀物づくり、酒造り、大工、鍛冶屋、シャーマン、武術の師。
成人して、それら以外の職業は、『島の外にでて剣の腕を売る』商売だ。
マリュフの手足は強く、意志は鋼、そして海賊嫌い。
軍人を選んだ。恰好いいし、人から好かれる。
バン・チオン出身だというだけで、士官たちは彼女を重用した。最初の上官が、身代金取引に失敗し、陸上で暗殺された後、次の上官は傭兵あがりの女性だった。口癖で、
「生き残るためなら、いっくらでもド汚い手を使え。そして生き残れ」
とよく言う。それを口にするたび片目を覆う眼帯を撫でる。『ド汚い手』を学び、実践し、生き延びて、生き延びようと頑張った。
その分、敵も増えた。買収をもちかけられたとき、手ひどく拒絶したこともある。それが当時の恋人と別れる原因。
元・恋人以外にも軍内に敵を増やしすぎた、と感じたのは、上官が『航路情報を海賊に売った』と審議会にかけられたときだった。
同じ話を自分にも持ち掛けられていた。決定的な証拠はなく、真偽は定かならぬまま、謹慎が解けた上官とともに軍をやめ、商人の船に傭兵として乗ることにした。
それが5年前。
5年はあっという間に過ぎた。
行きは鉱石運び、帰りは織物運びという船に乗り、漕ぎ手をかねた傭兵として働く日々。陸に降りては酒と、一晩限りの恋を楽しむ。時折、海賊船が接近してくれば、航海士と相談しながら待ち伏せや誘導、できる限り接近戦闘を避け、「流血は最低限でいい賃金」を目指す。それでも、体のあちらこちらに傷はできた。
休暇が長くもらえれば、剣術の語らいを求めて上官を訪ねる。地元の自警団を率いる武術師範の職を得ていた。眠りを知らぬベルテン(夏至祭)の夜、酔漢や望ましくない連中を逮捕し、市場の騒ぎを収め、毎夜のごとく都市の門を見張る自警団長でもある。農地を荒らす戦は別の土地の話であり、海賊は、おおっぴらには町にいなかった。徒弟や港湾の人夫といった体裁をつくろうことで、陸の楽しみを許される町。
そういう陸上の仕事も面白そうだが、マリュフは海の仕事以外を考えていなかった。船によくある熱病で倒れることも殆どなく、襲撃されてもしぶとく生き残る日々を、それなりに充実したものと思っていた。
しかしこの航海に出る前から、体調は思わしくなかった。
喉のしこりが、固く感じられ始めた。
(こんど船から降りたら、どこかの施療院を訪問しようと思っていた)
悔しい。体は思うように動かない。船酔いなどしたことはないが、揺れる頭ではまともに歩けなくなる。喉はやけにかわき、声は鴉のようなしわがれ声から、絞殺される狼のように低い声になった。
およそ女性がだせる声としては、最も低く、そして残酷なくらいひび割れた音。
悔しい。
自分の肉体は美しい、とは思っていない。声が失われたとなって初めて自覚した。自分は、自分の運動能力が高いことと、張りのあるアルト音域の声が好きだ。
好き『だった』ことを自覚した。
控えめに言うと、だ。
腹の底から、怨みの声をあげて、短く刈った黒髪をかきむしり、引きちぎってしまいたい。だが、そんなことをしたら、憎らしくてたまらない自分の声を聞かねばならぬ。重い絶望感につぶされそうだ。髪や眉だけでも引き千切りたい。アフ諸島では、親しい者を亡くした悲しみの儀式として、眉を剃り落すというし……

「モッタイナイゾコノミナノニ」

だが悔しいのだ。
自分の見通しの甘さが。語りかけてくる誰かに、自分が壊れかけていたこと、壊れてしまったのはまさに自分の愚かさ故だ、と訴えたかった。

「アレハあくせいのしゅようダ。ワカイカラ、キュウヘンシタ」

再び、どこかから声がする。玩具を無くした子供をなだめるように。お前のせいではない、というように。
それが低い男の声だと気づいたと同時に、喉の周りをくすぐるような感触を感じた。繊細な糸が、暖かい風に揺れるような柔らかい感触がする。ちっともチクチクしない、上等の毛糸のマフラーのよう。
なだめるような声が、謝罪の響きを帯びた。

「スマンガセイタイハサイゲンデキナカッタ。それは」

最近聞いた声だ。つい一週間前までの雇用主、船長ではない。宿の主人か。厩番か。
(違うな、馬に関係するような状況で聞いたような)
馬。
馬車。
乗合馬車。
魔術師。≪魔術師ナナエ≫。

「謝るしかないのぅ」

≪魔術師ナナエ≫が、柔らかい毛織のスカーフの上から、マリュフの喉をそっと撫でていた。
「お前が謝る必要はない」
絞殺される狼の、コメントが自分の唇から飛び出して、マリュフは目が覚めた。
起き上がると、寝台は柔らかく、傍らの藤椅子に腰かけていた魔術師は、鷹揚に頷いて、カップ一杯の白湯を啜らせてきた。
「どこらへんから目が覚めとったか、よー分からんので、改めて説明してやろう。まず、お前さんのノドにできてた腫瘍と、体内に転移してた、あー、いわゆる病気の種みたいなもんは取り去った。」
ほれ、といって差し出された円形の鏡に映すと、スカーフの下からピンク色の肌が現れた。日焼けしたマリュフの喉元、手のひらからはみ出る程度の大きさが、赤子のような薄い皮膚に覆われている。
指先で喉を撫でるマリュフに、魔術師は説明を続ける。
「熱も下がったろうし、あとはしっかり食えば体力も戻る。しかし、つぶれた喉を元通りにすることはできんかった。済まん」
灰色の頭を下げられて、マリュフは困惑した。
(助けてもらったのはこちらなのに。この人物は治療が不十分だったと謝るのか?)
「うーむ、こればかりは謝ってもどうもならんわなー」
返答が無いのを、男は別の意味にとったらしかった。肩を竦めて立ち上がり、椅子の影にあったサイドテーブルを示す。
硝子板の卓上には、金で象嵌された切硝子の鉢が大小さまざまおいてある。一番大きい鉢は、オレンジ、マンダリン、緑色の葡萄、バナナ、マンゴー、ライチ、苺と、季節を無視した新鮮さで果物が盛ってある。脇にある鉢の一つは蜂蜜。もう一つは色からすると苺のジャム。皿の上には、雪のように白いチーズと、夕日の色をしたチーズ、乾いた血の色の腸詰(おそらく豚の血だ)、淡い色のバター、白い粉をはたいたパンの固まりが2つ乗っている。
皿の脇に、蓋をした陶器のティーポットと、真水の入ったガラスの水差しがあった。さっきの白湯はこれを供したものだろう。
魔術師の言ったことは正しかった。鉢いっぱいの果物を目に入れたとたん、マリュフの胃が空腹を訴えたのだ。さっきから腹が減りっぱなしだったことに、気が付いた。一体自分は何時間、ひょっとすると何日間、眠っていたのか。
テーブルを身振りで示され、マリュフは恐る恐る紫色の木苺をつまみ上げ、口に含んでみた。酸味と甘さが一気に広がる。汁気の多い苺を飲み込んだとき、一度も痛みを感じなかったことで、思わず目頭が熱くなった。こんなに快適にものを食べたのは何日振りだろう。
「ゆっくり食ってくれよ、お前さんは2日間眠りっぱなしだったんだ」
テーブルの向こう側に移動した≪魔術師ナナエ≫が、何時の間に椅子をひいたのか、手の中に桃をもてあそびながら言う。
桃なんてあっただろうか?
チラリと頭の隅を疑問がかすめたが、マリュフはそれを脇に置いて、白チーズの固まりと、パンに手を伸ばした。一気に食欲が戻ってきたのだ。
食っても喉が痛まない、飲み食いする喜びも。
「足りなかったらまだ追加できるからな」
彼女がパンを2つとも平らげ、皿の上には腸詰の切れ端と、果物の皮が残るだけになるのを、魔術師は面白そうに観察していた。席を立つ様子はない。治療してくれた恩人であり、屋敷の主人がそうするのなら、マリュフは別に構わなかった。
水で薄めた葡萄酒でも刺激が強すぎる、と魔術師は弁解しながら白湯をグラスに注ぎ、「さて」と言った。
くるべきもの、切り出すべき話が来たな。
ベッドの端に腰かけたマリュフはグラスを受け取り、できるだけ背筋を伸ばした。
「≪剣の貴婦人≫殿、吾輩は≪魔術師ナナエ≫。ナナノナナエニヒトツカケという」
「私は、マリュフと呼ばれている。バン・チオンの出だ」
見た目でわかってるだろうが、そう言って自己紹介するのが常だった。
ナナノナナエニヒトツカケ、と名乗った男の奇妙な恰好もこれで説明がつく。金色の糸と真珠の縫込みで複雑な波か何かを模様にした青いローブ。背中いっぱいに伸び放題で広がった灰色の髪。細い銀色の紐が額を横切り、同じような紐が前髪の上で髪をとめている。二本の紐はこめかみの横で、金属のような音を立てる水晶細工の飾りがまとめていた。そこから後ろ頭にまで紐が伸びているのだろうが、水晶を編み込んだ髪の房に隠れていた。
椅子に座っているが、立ち上がればマリュフより頭ひとつ以上背が高そうだ。魔術師と自己紹介されねば、日焼けした顔と、白い歯を見せる人懐っこそうな笑いかたで、どこかの露店商と間違えるかもしれない。
桃をボールのようにもてあそぶのは、マリュフよりも滑らかで傷のない手。左手のほうにだけ、四つ、親指以外のすべての指に白金、黄金、銀、そして黒い金属でできた、飾り気のない指輪がはまっている。魔術にかかわる者を何人か見てきたが、マリュフの知る限り、宝石のついてない指輪を身に着ける魔術師は初めてだ。彫刻もついてない、ただの丸い環は、装飾品にしては意匠が簡素すぎた。
桃を撫でる指をじっと見つめていたことに気づいて、マリュフは咳払いした。
「それと、ナナエ殿。その呼び方は止めて欲しい。まるで道化になったような気分だ」
「あっれー?ダメだった?」
「マリュフ、でいい」
「そっか。じゃあ吾輩のこともナナエ、とかナナエちゃん、って呼んでくれい」
「あ゛ぁ?」
はぁ?と聞き返すつもりが、喉のなかで酷い濁音になってしまった。そんな無礼を気にかけた風もなく、魔術師ナナエは、
「ダメだった?」
と小首を傾げるのだ。まるで十代の娘のように。
「駄目に、決まってるだろう。貴殿は私の恩人だ。だから、私はできる限りの礼をしたい。生命の借りがあるんだから」
言外に『何を命じられても果たす』と申し出た女傭兵の前に、魔術師は桃をそっと置いた。その桃が黄金でできたものか何かのように、じっと見つめながら、
「あー、いやーそんなマジんならんでも、いんじゃね?」
と鼻の頭を掻く。
「吾輩は魔術師ぞ?珍しい腫瘍をぶちっと取って魔術実験がしたかったんかもよ?失敗したら、≪剣…いや、マリュフの死体を死霊魔術に使ってたかもしれないぞーう?歩く死体とか言ってー」
生ける死者のように手を前に突き出し、ひひひひ、と不気味げな笑い声もつけてまくしたてる。
だが、マリュフは動じない。生ける死者の物まねをする魔術師を、じっと見つめる。
「目的が何であれ、私が貴殿に生命の借りを持っていることには、変わりはないんだ」
≪魔術師ナナエ≫は手をひっこめ、髭をきれいに剃った顎を撫でながら、唇を引き結んだ。この頑固な娘っ子をどう説得してくれよう、と考えてるに違いない。せいぜい40代に見えても、魔術師が見かけどおりの年齢だとは思えなかった。
さらに言いつのろうとしたとき、魔術師は手をあげてマリュフを制した。
「つまり、治療の礼に働いてくれるってこと、だな?」
マリュフは黙ってうなずいた。
「いいだろう。吾輩の所領はそーんなに広くはないんだが、それでも人の手が入用でな。使い魔だけではできない仕事を、頼もっかなー?」
「任せてくれ」
なにを頼むか明日までに考えておくわー、というと、魔術師ナナエは部屋を出て行った。

「最初は簡単なことでお試し、といこうかな」
と、頼まれたのは、庭を歩いて行って、「ローズマリーみたいな花をつける木があるから、取れるだけ籠に摘んできて」だった。塔の一階にある台所をでた脇に、魔術師ナナエとマリュフは立っていた。
腰のベルトに短剣を差し、ブーツをはいたマリュフに、木の皮をまげて作ったバスケットを渡し、
「先導にコイツをつける」
と魔術師が言った。
今日は夜空のような紺色のローブの影から走り出てきたのは、使い魔のサルだった。額と手足、しっぽが真っ黒で、顔と手足の指の皮膚も黒。それ以外の体毛は白い。背骨の上の部分だけが、やや黄色がかっている。四つん這いということを考えても、頭から尻まではマリュフの肘から手の先程度。その代り、尾はマリュフの腕より長そうだった。
野生の猿と違うのは、その爪が金属質な銀色をしていることだ。
「シファカ、っつー種類のサルでな。庭の果物を食わせてたら懐いた」
その言葉を、頷きながら、ほんとうに『聞いて』いるかのようなサルは、丸くて明るい茶色の目でマリュフを見上げると、「こっちこっち」というようにズボンを引っ張る。
「シファカが食ってる果物だったら、マリュフが食ってもいいからねー」
いってらっしゃーい、という声を背中で聞きながら、マリュフは駆け出した。横っ飛びに数度跳ねたシファカが、木にかけ上り、枝から枝へとジャンプし始めたのだ。
上空を見上げながら、自分の足を木の根に引っ掛けないようにして走るのは大変だった。
軍の訓練で重たい水や装備一式をかついで走った日々を、楽しかった事のように思い出しながら、マリュフは懸命に走った。
見失った、と思ったときは、シファカのほうが戻って、マリュフを探し出した。木の幹に尻を擦り付け、くしゃみをするような鳴き声を立てるサルは、「早く来い」というより、「無理せんでいいよ」と言い聞かせているようだ。
二時間ほど走ったり、藪をかきわけたりして、たどり着いたのは、
「この土地じゃ、これをローズマリーって言うのか?」
とコメントしてしまうほど、大きな植物の根元だった。幹の太さは小屋ほどもある。シファカに続いてよじ登り、どれほどの高さかを考えないようにする高さに至って、やっと花が見えた。花がついているのは、幹から細い葉が茂った枝が分かれる部分だ。薄い青紫色のヒトデのように肉厚な花を、両手でつかんでもぎ取り、バスケットに入れた。
(シファカの爪は鋭そうだが、これを千切るほどの腕力はなさそうだしな)
キツネザルの使い魔は、時折マリュフが見落とした花を教える以外は、枝の先のほうに走って行ったり、幹の下にジャンプしながら降りては戻ってきたりと、半分遊んでいるようだ。バスケットが縁までいっぱいになり、用意していた布で花がこぼれぬよう包んでしまうと、マリュフは怖々ながら『ローズマリーっぽい香りがする巨木』を降りた。
地面に降りたってほっとしたのもつかの間、マリュフはキツネザルがズボンを引っ張るのを感じた。今度は、何をしろというのだろう。
キツネザルが、踊るように横へと跳ねていく。それについていくと、近くの樹木性羊歯の下に、シファカの見せたいものがあった。一抱えもありそうな果物の山。幹を上り下りしている間に、近くの果樹から集めていたのだろう。
「昼飯にしようって?こと……かな」
シファカの返事は、熱心なくしゃみの音だった。マリュフが腰を下ろして、マンダリンの皮をむき始めると、シファカもそれにならった。
午後半ばまで、シファカとともに庭という名の果樹と羊歯の森を探索して回った。
この土地の植物に詳しくはないが、それでも実りの季節が違う果樹が、ことごとく実をつけているのを見ると、魔法が働いているとしか思えない。
羊歯の葉と思っていたものが、亀のような生き物の背中から生えていたり。
花と思っていたら、蝶であったり(羽ばたく音が小鳥のように響くくらい、大きな蝶だった)。
果実にみえたものが、艶やかな甲虫であったり。
暖かい空気が、時折涼しいそよ風に混ぜられていく。不思議な現象に満ちた庭だった。
そして、シファカはマリュフの探索を、危険なく導くのが己の役割と考えているようだった。何度か水の流れる音が聞こえる場所で、音から遠くなる方向へとマリュフのズボンを引っ張ったことがあった。
(この庭とやらは、物騒な場所でもあるんだな)
短剣では立ち向かえない程度には危険、とマリュフは判断し、使い魔の導きに従った。助かったばかりの生命を、下らない冒険心でふいにするつもりはない。
塔の台所脇に戻ると、魔術師ナナエが待っていた。まさか、朝出かけたときからずっとそこに居たわけではなかろうが、最後に見た位置とぴったり同じ場所に立っている。
「よっ、おっかえりなさいー」
飄々と手をあげて、バスケットを受け取り、布の中身を確認し、魔術師ナナエは歯を見せて笑った。
「マリュフはいいなぁ!真面目や、本当に」
「これがそんなにイイことか?」
手を叩いて踊りだしそうな魔術師に、つい尋ね返してしまった。
「そうともさ」
魔術師ナナエは、丁寧に布を包み直し、台所の木戸を開ける。
「見張ってたって、手抜きする奴はいる。ごまんと、いる」
と低い声で言いながら、マリュフを先に中へ入れる。シファカは木立へとジャンプした後だ。
「そういうもんなのか」
つぶやきながら入った台所は、つい最近掃除したてのように、蜘蛛の巣も生ゴミもなく、丸太を縦半分に切った大テーブルの上には、灯心草をつかったオイルランプが、明るい光を投げかけていた。ランプの明かりに、湯気を立てるタロイモでいっぱいの鉢、柔らかい羊歯の芽を茹でたサラダ、汁気の多そうな紫色の大粒葡萄、といった夕食が輝いている。
タロイモの土臭い香りを嗅いだとたん、マリュフの胃が鳴った。
「まぁ食え、腹が減ってるだろ、ほれ、たーんと食え!」
4つも火口のある鉄のストーブの上から、鍋をおろし、煮込んだ豚の足をよそう魔術師にせかされて、マリュフは席に着いた。腰かけながら熱い芋を取り上げ、故郷のヤム芋を思い出す。
食事、といっても魔術師ナナエは手の中で青林檎をいじりまわすばかりだったが、
「例えば、お前さんが寝てる間にな」
と話はじめた。
「例の御者がやってきおったわい。喉がおかしい、うつされたにちがいない、っつってな」
あの乗合馬車の御者のことだろう。マリュフが目顔で頷くと、
「実際にはなぁんも、異常ないんよ。補償金目当てってやつだ。
『治療が失敗した時の死亡賠償金は払ってやるから、塔にはいれ、さっそく新魔法薬をお前で試してやろう』
つーと、あっという間に快癒して逃げ帰っていきおったわ!ひひひ」
「ひひひ、って……おい近郊の村の人間を、そんな風に脅かしていいのか」
「かーまわねぇよ。俺の所領、つっても火山と岬とこの庭内にヒトは住んでねぇ。近くの村ん人間は、皆俺が育てたようなもんだ。伝染病から救ってもらった恩を知らない奴ぁいねぇよ」
人差し指一本を立てた先で、くるくると林檎を回転させながら、魔術師ナナエは笑い続けている。
「半端に離れて、伝聞でしか吾輩を知らぬ連中だからこそ、嘘をついて、ごまかしをするし、果たせもしない約束をする。見破られるってのにな……っと」
林檎の回転が緩やかになり、転がるのを、魔術師はその手でつかんだ。
「皮だけきれいで、中身は腐った林檎と同じ、不正直者は好きじゃないな」
マリュフは不意に、かつていた軍の、審議会に並んだ審議官の顔ぶれを思い出した。勲章はたくさんつけていたが、正直な方法で手に入れたものばかりではない。磨かれた、きれいな七宝飾りに過ぎない。
頭の中から輝く七宝飾りを追い出しながら、マリュフは頷いた。

翌日、マリュフはシファカに導かれ、今度は火山のふもとの『さぼてん』という植物を取ってくるよう命じられた。『サボテン切り』という糸のように細い金属と、革手袋に背負い袋に続き、弁当の包みを渡されたとき、マリュフはつい
「魔術師殿が作ったのか?」
と尋ねてしまった。魔術師ナナエは灰色の髪を、指先でかき上げる。水晶飾りが、鈴のように鳴った。
「まーねー、俺、こういうのも得意なのよ。家庭的、べんとーだんしっつーの?まぁ食ってこい」
「ありがとう」
包みを背負い袋に仕舞いながら、マリュフがかるく頭を下げる。その動作で、ふわり、とアンゴラ毛糸のスカーフが揺れた。魔術師ナナエ様へ、と贈られたものの、自分には似合わない色のため、女傭兵の首に巻いてやった。
「お、おぅ」
淡いピンク色の毛織物から何故か視線を外しづらい。魔術師はぎこちなく手を振って、一匹と一人を送り出した。

遠くの空に大きな鳥が飛ぶ。活火山のふもとは、常春の気配がする庭のなかでもひときわ暑い。
木登りが巧くなりたい、と思いながらシファカを追いかけるだけで、午前中が過ぎていった。曇り空のため、光の調子で時間を判断するしかないが、猿が枝の上から鳴き声と同時に、大きなマンゴーを降らせてきた。
短剣を突き出して間に合って、
「……刺せなかったらどうする気だったんだ?」
と思わずつぶやくマリュフに、サルはくしゃみのような鳴き声で返事するだけ。腹が減った、昼飯にしよう、と解釈して、一人と一匹は昼食を広げた。
「さぼてんというものは、どういう植物だろうな」
煮込んだトマトと肉をはさんだパンを片手に、ぼんやりつぶやいたマリュフの頭上を、大きな影が横切った。
顔をあげると、梢のすぐ上を旋回する鳥がいる。翼を広げた差し渡しは、マリュフの身長よりありそうだ。
『Gyu-uuu-uuuuuuru-』
大きな鳩が鳴いているかのような声がし、鳥は枝の間をすり抜け、彼女とシファカの傍らの木に止まった。翼をたたむと、猛禽類に似たこげ茶色の羽に、一筋だけ真っ青な模様が横一文字に入っているのが分かる。そして、胸も同様に青く、シチメンチョウのように皮のたるんだ首の上には、ヒトの顔のような顔がついていた。
頭部は金色の羽根に覆われており、どうかすると金髪の人のようにも見える。さしずめ人面鳥。
短剣の柄に手をやりながら、マリュフは油断なく人面鳥の動作を見つめる。
鳥はシファカには目もくれず、首を左右に傾け、
『Gluuuuu-uuu-uuuu-』
鳩のようにくぐもった声を立て、マリュフを左の眼球、右の眼球それぞれで眺めた。金色の目は知性があるのか、マリュフを観察し終えると同時に、満足げに細められる。
『Uuuu-Gyuu-uuuu』
その鳥の声に返事をするかのように、シファカがくしゃみのような音を立てた。人面鳥はさっと翼を広げると、力強く数度羽ばたいて上昇していき、すぐに梢の向こうに消えた。
おおきく息を吐いて、マリュフは短剣から手をはなし、膝立ちになった足元の猿を見た。サルは、捕食される恐怖などみじんも見せずに、マンゴーの残りにかぶりついているところだった。

針だらけの緑色の毬みたいな植物を集め終えて戻る。
夕食はスパイスの効いたミンチ肉と、芋の合わせ炊きをメインに、果物が山のようについてきた。「まだサケは止めとけ」という忠告とともに、マリュフには真水が提供される。それに付き合ったのか、魔術師のマグカップにも真水が注いである。
昼食時に見た人面鳥の話をすると、魔術師ナナエは、
「あ、それ俺の娘」
と事もなげにコメントする。
娘、という単語に目を瞬く女傭兵。
「あー」
咳払いする魔術師。
「厳密には、『娘みたいなもん』。俺が作り出した小鳥ちゃん?なのよ。かっわいーい上に賢くってなあ」
そこから滔々と語られる、如何にして野生の鳥を使い魔として育て、羽の色から賢さまで、世代を重ねさせて改良していったかという話を、マリュフは半分も理解できなかった。馬の掛け合わせのようなものらしいが、解らない言葉ばかりでてくる。
「頭は相応によくなったが、まだまだ、もっと素晴らしい生き物になれる『はず』なんだ。自分たちで『タイジャイ』の管理もできるようになった」
聞き手が理解していなくとも、魔術師ナナエは気にしていなかった。
「それに声だって──」
不意に途切れた解説に、二人とも居心地悪そうな顔になった。
声。失われた声。元に戻せなかった声帯。『せいたい』というのが筋肉の膜で、それをふるわせると声がでるのだ、という説明を受けた。
うっかり触れてしまった傷に、突然気が付いてしまった気まずさが、石のように落ちてくる。
「あー」
咳払いする魔術師。
「魔法の歌を歌わせるために、いろいろと工夫を凝らしてるところさ。お前さんのことを攻撃せんかった、っつーなら、そのうち巣に連れて行ってやるわい」
「ああ、楽しみだね」
マリュフもひび割れた声で、つとめて明るく答える。『魔法の歌を歌う鳥』の話は、それきりになった。魔術師が、汁気たっぷりのオレンジをすすめ、
「こういう風に、吾輩の庭のなかを歩き回るのはうまくやれそうか?」
と聞いてきた。
マリュフは少し考え、
「貴殿の娘たちが、私の髪をむしらないでくれるなら、できると思う」
と答えた。樹上を移動するシファカは、いい案内役だし、走ることそれ自体は苦にならない。バケツを両手にもって階段を駆け上がり、大波に揺れる甲板でロープを飛び越えながら水をかきだす作業に比べれば。
魔術師ナナエは笑いだし、
「それは保証する。娘たちは金貨や硝子のほうが好きなんでな!」
と太鼓判を押した。明日は村に行ってみよう、と魔術師ナナエはしめくくり、女傭兵は楽しみにしている、と答えた。

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