スピンアウト作品:魔術師ナナエと女傭兵

宴のような楽しみ

井戸の周りに七世帯だけの、漆喰塗りの家が集まった場所が『村』だった。魔術師ナナエの荷物を乗せた水牛と、左右を挟むようにして魔術師ナナエ、マリュフという一行が訪れたのは、日が昇った直後。水牛の角の間では、シファカが眠そうにアーモンドをかじっている。
魔術師は泥がはねるのも構わない様子で、ヒヤシンスのように目を引く青色のローブをつけ、髪の間にはやはり水晶細工を編み込んであった。一方のマリュフと言えば、
「なぁ、これは重武装過ぎる」
と何度目かの抗議の声をあげた。
首のスカーフと色を揃えた、淡い桃色のバンダナは、まだ許容できる。
革鎧は体にぴったりだった。どこにも詰め物をする必要がなく、ここ何か月かの病気で痩せ衰えた筋肉のカーブに不気味なほど合っている。
磨きたてた拍車つきのブーツ、マリュフ自身の剣を吊るのによく似合う、使い込んだ様子の剣帯、肩の後ろにかけておける軽い丸盾と、鎧やブーツの隠し場所に収まるたくさんの投擲用短刀。そして、考えたくはないが、丸盾の裏側に隠れている革の把手つきワイヤーは、まるで暗殺者が使う代物のようではないか。
遣りすぎに思える。
大きな姿見に映った自分の姿が、熟練の女傭兵、上等の使い込んだ装備に身を固めた護衛に見えたときの興奮は、とっくに冷めていた。
「貴人の護衛にはそのぐらい要るだろ、≪剣の貴婦人≫どの」
「それ止めてくれって」
魔術師はひひひ、と笑って肩をすくめた。鈴のような音をたてて、前方の大きな樫がある集落に顔を向ける。七軒の家は、その樫の根元に寄り添いあうように建っている。小さな、村と言うには慎ましやかな集落。
「昨日っからご近所に旅のお方が来ててなぁ」
「うん?」
「そういうお方が居るときは、ちとハッタリが必要になるかも知れんのよ」
「どういう事?」
マリュフは具体的なことを聞きたかった。
「あー、あー……うん、吾輩が何を始めても、黙って調子を合わせてくれりゃあいいわい」
女傭兵の質問より、土手から聞こえる小鳥の声のほうが、魔術師ナナエの注意を引いているようだ。
「それではサッパリわからん。答えたことにならない」
「吾輩だって、何をどうするかは決めてないんだもん。答えらんないわあー」
棒読みでそらとぼけられては、お手上げだ。ぼっく、ぼっくと重たい足音を立てて歩く水牛の背の左右には、籠入りの荷物。これは謎でも何でもない。
左右で重さが均等になるよう、乾果やチーズの包みが振り分けられている。
乾果は多種類。林檎、桜桃、黄桃、マンゴー、季節を無視した芳醇な、名も知らない果物、輪切りにしたバナナの乾果まである。
チーズはというと、水牛や山羊といった乳のもの。誰が何時作ったのか、と尋ねると、魔術師は
「言ったろ?吾輩は家庭的で手先が器用なのさっ」
とニヤニヤするばかり。あとは、魔術師が『セッケン』と呼ぶ謎の固まり。
四階建ての塔の二階の一室(と続き部屋の浴室)をマリュフに自由にさせ、魔術師ナナエは三階とその上。マリュフには立ち入らせない。マリュフ自身、恩人のプライバシーを覗き見るつもりはない。だが、
(魔術師の作業場には何者が居るんだ?)
という好奇心は持っていた。精霊か、使い魔か。
水牛の背骨の真ん中で、つり合いを取るように布をかけて括り付けた十三金属弦の楽器。これも謎だ。
謎がない荷物と、謎だらけの荷物。
前方に見える井戸脇の樫の木は、大きく枝を張った自然の天幕だ。井戸の脇にある石囲みの共同洗濯場兼作業場は、普段なら収穫物を洗ったり、着物を洗い張りしたりする村の人々が談笑する場所なのだろう。
マリュフは巨木の根元にたどり着く前から、トラブルの気配を感じ取っていた。
井戸の水を入れ、排水溝をふさいだプールの周りでは、太い腕をした中年女性と、男の子と女の子、いずれも10歳にもなってないらしい子供たちがしゃがみこみ、押し黙って羊毛の塵とりをしている。女が長柄の木製フォークで、水中の羊毛をかきまぜ、引き上げる。それを子供たちが受け取り、端をもって捩り、水気を絞る。
作業のあいまあいまに、彼らが懸念を込めた視線を送るのは、≪魔術師ナナエの塔≫からやってくる水牛の姿を見た途端、石壁から飛び降りて仁王立ちになった若い男だ。
洗濯を怠っていなさそうな白いシャツ、革の肩あてのついたヴェストコートは、深みのある臙脂色に染められており、ゆったりとしたパンツは足首のすぐ上で絞ってある。惜しみなく金を使った、仕立のよい服。ヴェストコートの胸ポケットから下げた鎖と徽章の輝き。どこかの宮廷人らしいが、腰に下げた斧の握りはしっかり使い込まれている。単騎で伝令と使いを任されるような戦士あるいは騎士。あるいは下級貴族。薄茶色の髪を後ろになでつけ、丸い印象の顔立ち。
魔術師ナナエは、面白そうに目を細め、口笛でも吹きそうな顔をしている。『心当たりがある』に違いない。
「魔術師ナナノナナエニヒトツカケ様とお見受けする」
水牛の角が石壁のうちに入るか入らないかのうちに、先制攻撃のような呼びかけ。魔術師ナナエは返事をせず、水牛の歩みを止めず、進むに任せる。
水辺から、警戒と疑念(マリュフが予想していたような、恐怖は感じ取れなかった)の混じった視線をあげる中年女に、笑顔で頷きかける魔術師。心得た顔で頷き返す女は、長柄のフォークで水中から羊毛を引っ張りあげる作業に戻る。だが、集中しているわけではない……聞き耳を立て、意識は若い宮廷騎士にむけている。
魔術師ナナエも、丸顔の騎士から目をそらさず、あと三歩で斧の間合いというところで立ち止った。
「人違いでっす!」
笑顔のまま、金属の指環をはめた左手の指を顎にあてる。
「……と答えたら怒りそうだなぁ。いかにも吾輩が魔術師ナナエ、ことナナノナナエニヒトツカケ。君は?何という名前かな」
「私は、マルウェカッスル城を治めるヘモウス・ペイヴィオ卿の名代として参った。騎士セイ・ドラハー・ディ・ローレン。ペイヴィオ卿の異母弟でもある。」
マリュフが聞いたことのない城、支配者、騎士の名前。沿岸諸国ではなさそうだ。
帽子があればそれで地面を払っているが、略式に頭を下げることにした、とでもいいたげな礼。
「ほーほー、それで、ローレン閣下は火山と森しかねぇ辺境の魔術師ごときに、何の御用なわけ?ここではお話できないような御用?明るいお天道様の下では言えないよーなことかなぁ」
騎士はニヤニヤ笑いの挑発を無視した。
「過ぎた謙遜はお止めいただけまいか、≪魔術師ナナエ≫殿。ペイヴィオ卿の相談役、レンダゼンス師が貴公を推挙したのだ。師の師が尊敬していた≪魔術師ナナエ≫殿を置いてほかにはない、と」
水牛の鼻の向こう側から、≪魔術師ナナエ≫が小さな声で「あの馬鹿」という単語まじりで何か、毒づくのが聞こえた。
騎士は魔術師の顔から視線をそらさず、しかし武装したマリュフも視界に収めたまま続ける。
「しかしながら、伝説というのは往々にして誇張されるものだ。私はペイヴィオ卿に取り入ろうとする詐欺師を何人も見てきた。貴殿が60年以上も生きているように見えないのは、常若の秘術を会得したのか、それとも」
「600年以上、つーてなかった?レンダゼンスの師匠、クェラ・ハールは」
魔術師ナナエの本気とも冗談ともつかないコメントに、騎士はかぶりを振った。縁かがりのついた手袋をした手が、すいっと斧の柄にかけられる。
「どちらでも構わない。今ここで、貴公の腕前を試させていただければ」
「あー……ああ、そういうこと?」
ナナノナナエニヒトツカケが髪をかき上げると、木漏れ日に水晶がきらめいた。水牛の額にいたシファカが身を躍らせ、楽器の布覆いのかげに隠れる。
不穏なことになる予感。
サンダル履きの魔術師が、無警戒に前に一歩でる。斧の間合いまであと二歩。
マリュフはその横に無言で立った。長剣なら、あと一歩。
魔術師を背中にかばって斧を受け止めるには十分。この若い男はどれだけ実戦を積んでいるのだろう。手袋のくたびれ具合からして、屋外で生き物相手に斧をふるった経験は少なそうだ。街道の追いはぎや、山に逃げ込んだ犯罪者。それらの多くがただ盗みを働いただけの貧民を狩った程度では?
若者の戦闘経験を見積りながら、マリュフは自分の手袋が新品で、まったく長剣をふるった形跡が見当たらないことを意識していた。これではまるで、『武器と鎧を身に着けさせられた魔術師の愛人』に見えるのでは、と。
マリュフの懸念は、魔術師ナナエが指をパチンと鳴らす音にさえぎられた。
「腕前っつーことは、魔術の腕前でもいいんだよなー」
指輪をはめた手が伸びてきて、マリュフのいつでも長剣に伸ばせるようリラックスした腕をつかむ。
「……は?」
ぽかんとした声は、マリュフのではなかった。劇的な効果を狙って、刺繍を施した青いヒヤシンス色の袖が翻る。
「吾輩はここに宣言しよう!ローレン閣下に指一本触れることなく、彼をぜえはあ言わせて地面に倒れこませることを!」
「はぁ!?」
驚愕の叫びは、見事にしわがれたマリュフの声と、若い騎士の声が重なったものだった。その声が消える前に、魔術師ナナエがマリュフに片目をつぶって見せた。

(黙って調子を合わせてくれ)

マリュフがぎこちなく腕の緊張を解くと同時に、水牛の背中で金属の弦が最初の和音を奏でた。カーニバルでよく耳にする恋歌の出だし。

『花と蜜蜂の恋人』とかそういうタイトルのついた歌だ、と気づいた視界の端で、若い騎士が斧から離れた自分の腕を見つめていた。あからさまに、自分の腕が何をしているのか理解できない、戸惑った顔で、その左腕は空中の何かを掴むように伸びている。
魔術師ナナエがマリュフの前に回り込み、優雅に頭を下げる。灰色の髪があがると同時に、右腕をマリュフの胴にまわしてきた。その向こう側で、茶色の頭が同じ動作をしているのが見える。
シファカの爪が軽快な音を弾く。
白い歯を見せて、魔術師が歌う。

『殿方、殿方、殿方たちよ 絢爛の季節
花はほころぶ、陽ざしの下、薔薇の木は甘く香る
舞い踊る白い足を 眺めているだけでいいのかい?』

胴を引き寄せられた。二人の体がくるりと一回転し、魔術師の右手がマリュフの左手をとる。架空の相手を掻き抱いて、騎士が一回転し、右手を後ろに引き上げた。パートナーと胸を合わせるように。

『淑女、淑女、淑女たちよ 群れ蜂の季節
蜜が滴る、夕日の中、羽根を広げて飛びまわる
熱い称賛のまなざしに 微笑むだけでいいのかい?』

子どもたちが、羊毛を放り出してペアを組んだ。足の間に、もう一人の足が入るよう、密着した半回転。困惑した騎士の口からも、親密なダンスを呼びかける歌が飛び出す。
驚愕し、飛び出さんばかりに目をひんむくローレン閣下。
魔術師ナナエのウィンクが飛び、今度はどっしりした体格の中年女が、羊毛フォークを放り出した。

『冷たい風は止んだ!空は黄金の夕暮れ!
踊れ、修道士のローブの下、白い足が四本!
踊れ、米菓子が弾けるように!
心に咲く花の名は愛だ
野に咲く花の名は愛だ
蜜を吸うのはただ一度だけでいいのかい?』

軽くない装備一式ごと、マリュフの胴体を両手で抱きしめ、遠心力で足が浮くほどの回転。
着地して、一歩半の右ステップ。
マリュフの手を自分の肩に置かせ、息継ぎもせずに歌う魔術師。
次の一歩半の左ステップで揺れる灰色の髪の向こう側では、騎士の肩幅よりもがっしりしたウエストの女性を、同じように着地させた若者がステップしている。
水牛の背では、シファカが後ろ脚の爪も使って複雑なアルペジオを奏で始めた。
村の他の家から、目を輝かせた人びとが出てくる。エプロンで手をぬぐいながら、泥のついた鋤を放り出し、犬を連れたまま。
どうやっているのかは想像もつかない。村人にとってこれは、半ば予想されていた魔術師の訪問と音楽の贈り物、という感じがする。若い騎士にとっては想定外の腕試しだったようだ。

『殿方、殿方、殿方たちよ、願望の季節
夢見たとおりの美しさを見るがいい、薔薇の花が揺れる
風に散らされる花びらを ただ見送ってもいいのかい?』

足腰が元気な世代が声を合わせてくる頃、杖をついた女性や、手押し車を押している男性も加わった。シファカの演奏に合わせて、杖や、家から持ち出した鍋がリズムを刻む。
ペアになった互いの手を握りしめ、腕を伸ばす。
魔術師ナナエが肘を引き、彼の踏み込んだ腿の上に、マリュフが乗るような恰好になる。倒れこみそうな勢いでありながら、性交のように密着した滑らかな動き。金色の目が笑いかけ、マリュフの耳に音を立ててキスする。
頬をバラ色にした中年女が、騎士の口づけに笑い声をあげた。

『踊れ、胸の弾むよな弦の音!
群れる蜂の名は恋だ
蜜を与える花は恋だ
愛を示すのはただ一度だけでいいのかい?』

次の胴体を抱え上げた一回転ののち、中年女と交代したのは白くなった髪を大きなポニーテールに結った老婆だった。騎士より頭ひとつ低いし、体重も軽そうだが、若い男はもう襟まわりが汗でぬれている。
魔術師ナナエは笑いながら、
「もう一度最初から!」
と使い魔に合図した。ナナノナナエニヒトツカケの額飾りが、シャラン、と音をたてる。汗は一筋もかいていない。
マリュフは笑いだしたいのを堪えて、周囲を見回した。
息を弾ませながら、子供たちが踊っている。水場の周りには兄弟のようにそっくりな男性ペアも居れば、親子と思しいペアもいる。牧用犬までが、踊り手にうっかり蹴飛ばされない場所で、音楽に合わせたとしか思えないタイミングでジャンプを繰り返している。
これが魔術師ナナエの魔術?
そう思ったとたん、耳元で魔術師が囁いた。
「いいねぇ、もうちょいと笑ってくれりゃあ、文句なしの美人なのにな」
「ばっ……」
ばか言ってるんじゃないよ、と殴りたかったが、指をしっかりからめた手はびくともしない。
丸盾も背負った女戦士を、少女のように軽々とターンさせ、魔術師のローブが、華やかなドレスのように翻る。青いローブの肩ごしに、夫と思しき男性をターンさせる中年女の逞しい腕と、汗だくになった騎士の腕のなか、顎をそらせて笑う少女が見えた。
鏡写しのような動き。
港町の女たらし顔負けの艶っぽさで、魔術師は鎧をつけた腕の内側を舐め、マリュフを笑わせ。騎士は素手の少女に嬌声をあげさせた。
騎士の表情はうかがい知れない。首筋が真っ赤になっている。
マリュフが軽く汗をかくころ、「もう一度最初から」が宣言された。
「いよぅ、美しい人」
白い髪を束ねた背の高い老女に、魔術師が手を差し伸べた。
「シワシワ婆をつかまえて美しいってアンタ」
素早さはないが、軽くステップを踏む女性は、笑いながらマリュフと交代する。
「美しい少女が美しい老女になった、ということさっ」
ステップの輪をそっと抜け出しながら、女傭兵はローレン卿のほうへ注意を向けた。
魔術師と同じ言葉を、半分泣きそうな声で騎士が言っている。泣いていたとしても、汗で見分けがつかないだろうことだけが、彼の体面を守っていた。
頬を伝う汗をぬぐっている男性から、エールのコップを差し出され、マリュフはチラリと微笑した。この集落の人にとって≪魔術師ナナエ≫が来るのは、踊りと音楽の楽しみなのだという話を聞かされた。
老いも若きも疲れ果て、騎士が汗だくになってしまうまで、「もう一度最初から」が繰り返された。
最後のフレーズが拍手にかき消されると、予言通り、 騎士セイ・ドラハー・ディ・ローレンはふいごのように息をしながら地面に倒れこんだ。

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