そのとき自分は醜い顔をしていないか?

振りかざす『正義』や『正論』

 

業が深い。

だからこそ、自ら問わざるを得ない。

「今、それを『ルール違反』『マナー違反』と言いそうになっている私よ。

実は自分の『戸惑う気持ち』『居心地悪さ』『知ったかぶりできなさ』といった不快をごまかすために、倫理やマナーをもちだしてはいまいか?」

と。

自分の見聞きする事柄ですら、季節や体調や時間帯によって、「好ましく思っていたはずなのにあまり楽しめないもの」もある。

「あら、いつも美味しいと思っていたのに…」

とか。

いわんや、他の人の感性をや。

自分の振りかざす『正義』や『正論』が、いかに他者を追い詰めることか、そこに思いを馳せることの、なんと難しいことか。

何かする、特に異議申し立てをするのであれば、「他にやりようはないのか?」と考えてみたいものです。

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