ブラウザでVR『MusicVket』体験

夕立Pさんのブログ記事『MusicVketに『手軽に参加したい』人にMusicVketCloudをおすすめしたい。』を拝読し、Google Chromeで試してみることにしました。

Twitterの、夕立さんブース直接リンクから飛んでみると……

  • 最初の読み込みはちょっと時間かかる
  • 以前のpixivAPOLLOで持った不満点解消。 (隣や奥のブースが視界に入るので、偶然の出会いが生まれる)
  • 他のアバターが居ないので、表示ストレスなく歩いて試聴できる。

この3つがメリットですね。

リアル会場の『みんなでワイワイ』を疑似したい層は、VR機器を入手して入るのが良い。 『のんびり好きなだけ一人で見て回る』向きには、ブラウザからのVRCloud、とても手軽(追加機器が要らない)で良い。 楽しみ方に、選択肢があるのはすごくいいですね!

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『ファンベース』書評

ファンベース (ちくま新書)佐藤尚之/著

ファン獲得施策の根底にあるべき、『共感・愛着・信頼』を丁寧に説いた本。
ではあるが、昨今の「ファンと密接に関係した企業施策」に倫理的いいがかりをつけ、ネット炎上を仕掛けてくる人々への対策はなし。手がかりを与えてもいない。
凡庸とまでは言わないが、スタート地点を説いた本としては悪くない内容。
2つの理由から、星3つとした。

まず第一に、本書はファンとの関係性を構築する施策を説く本であるから、
「ファン獲得するとこんなにいいことがありますよ!」
は熱心に言っても、
「ファンを獲得すると、コミュニティ維持と誘導には細心の注意が必要ですよ、例えば……」
という内容は全く触れていない。
これで星を1つ減じた。

例えば、188-189ページ『身内であるコアファンと一緒に価値を上げていく』の節では、テレビ露出より握手会という、AKBファンコミュニティ構築を讃えている。

だがここで、AKB手法をまねた新潟の『NGT48山口真帆さん暴行事件』を思い出してほしい。
コアなファンほど、
「自分はこんなに貢献しているのだから、見返りに、ちょっとした逸脱を認めてもらってもいいはずだ」
と思い上がる生き物である。
また、事件後の運営事務所による隠ぺい、頬かむりに憤りを覚えたファン、それを伝え聞いた第三者の悪印象を、特に思い出してほしい。
評者は事件が起きるまで、NGT48の存在すら知らなかった。しかし、「運営の対応を批判するファン」の言葉で、AKB商法には不信を持った。

ファンベースとは、「ファンは思い上がる生き物」という前提に立つ必要がある。
暴走を織り込み済み(リスク管理とは、事故が起こった後のことも対策することである)のファン施策、企業戦略を説いていたら、評価も上がっていたのだが。
新書という文章量の制約もあるだろうし、「ファンベースの光の側面」を知らせる福音書という意味の本なら、本書に含めるべき内容でもないのだろう。
ただ、光の側面を強調するあまり、
「ファンベースが構造的にはらむ問題を全く書かない」ことには、危惧を覚えるところである。

そして第二に、倫理的いいがかりをつけ、ネット炎上を仕掛けてくる人々への対策。
これは特に、弁護士や社会学、人権活動家の肩書を持つ人々が、マーケティング施策内容(特に広告表現)を誹謗中傷し、ハッシュタグをつけてSNSでの攻撃を扇動する事例を指す。
法曹や学者に至っては、こうした炎上を例に引いて、「自分をアドバイザーに雇ってくれれば、こうした炎上は防げた」
と露骨なマッチポンプ商法を仕掛ける。
企業、法人側は、こうした倫理ヤクザに対策が必要である。(弁護士アカウントが、法的な根拠を明示せず、感覚で扇動している現場を目の当たりにしたので、評者はヤクザの言いがかりに等しいと考えている。)
さらに、『ファンでも何でもない』のに、人生や社会への不満をため込んだ人々は、たやすく攻撃行動に参加するのだ。特に
「自分は正しいことをしている」
「仲間がいいねやFavで承認してくれる」
という快楽、相乗効果を得て、『ファンでも何でもない』人々は、ファンベースのマーケットを破壊しに来る。

本書で「ファンは自信がない」と指摘されているが、上記のような『炎上攻撃』の参加者は、「お前たちは倫理的ではない」と攻撃して、ただでさえ自信のないファンを揺さぶるのだ。

ファンベースの顧客戦略は、
・リスク管理(コアファンの暴走を織り込む)
・炎上対策(無視・ファン保護・拒絶の表明)
なくしては成り立たない。

この2点が抜け落ちているため、本書の評価は星3つである。

最新骨相学は嫌な感じに的中する

骨相学、それは19世紀に発生し、20世紀にはすたれた(当たらないんだからニセ科学に堕ちた)技術。

なのですが、顔データを大量に食わせた顔認識DBは、嫌な感じに的中するという記事を拝読しましてな。

『性的嗜好や支持政党が顔認識アルゴリズムでわかる研究が物議を醸す』
https://jp.techcrunch.com/2021/02/28/2021-01-13-facial-recognition-reveals-political-party-in-troubling-new-research/

すでに「ウソだ!こんなのは当たるわけない!」という否定から、「技術が悪用/濫用されないためにはどうしたらいいか?」を議論する段階でしょう。

私の予想する、顔認識アルゴリズムの援用。
人間は便利なほうへほうへと流される。 『最新学習データを用いたAI骨相学(ありがちな名前)』で判明する支持政党や性的志向などを、相手に黙って判断に使うでしょう。
「お互い様だ、相手だって使っている」
といって一歩も譲らないが、デジタル・ディバイドには知らん顔する。 ……じゃないですかね?現時点でみられるデジタル・ディバイド放置からして。

人間の理性や知性を信頼する運用は、 ・顔を撮られない(私は『最新骨相学』に判断されたくないという意思表示) ・撮ろうと持ち掛けない(私は『最新骨相学』で他の人を判断したくないという意思表示) の2つになろうかと思います。(多数の人が絶対に選ばないだろう選択肢)

ただ、この方法は個人間でのみ運用可能。

自販機やコンビニ、駐車場……。 あらゆる場所にある監視カメラを通じたデータ採取に対抗するのは何か? そうなると、『法規制』じゃね? という考えはあり得ます。(あと、予防効果のない、証拠能力だけの防犯カメラは撤去したらいいのにって思いますね)

おまけ解説【予防効果がない】とは
そこにカメラがあっても、「刺し違えてでも何かやる気がある犯罪者」は止まらない、の意。

『火星の人類学者』感想

本書の刊行は26年も前なので、古さを感じる部分はある。
それを差し引いても、一般読者に”当事者の世界”を触れさせる良書なので星5つとした。

火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF) オリヴァー サックス https://www.amazon.co.jp/dp/415050251X/

原著”An antholopulogist on Mars”が出版されたのは1995年、日本語版出版は1997年。
現時点(2021年)からみれば26年間、精神医学、脳神経科学は日進月歩の進歩を遂げてきた。現代の最新知見を持つ読者からみれば、
「四半世紀前はこんなものだったのか」
と、落胆や不満も持つ内容である。

とりわけ、当時よりははっきりしてきた発達障害への理解を踏まえると、

「抱きしめが大事とかいう理論はお前のせいかぁあああ!」

と、どなりたくなるようなエピソードもある。それがタイトルにもなった『火星の人類学者』である。
著者および協力した人々の名誉のために付け加えるなら、『抱きしめが大事』は「ひとつのアプローチ」として提言されているものの、提言した当事者でさえ「それが万能」とは考えていない。

しかし、親というものは、不安を抱きがちな生き物だ。

「子供が障害になるのは、自分たちの育て方のせいでは?」

と、藁にも縋る思いの人々を餌にする、偽科学が悪い。また、そういうのに公共サービスの保健師や助産師がはまるのも悪い。彼らには適切な医学知識と、職業倫理が欠けている。

評者はとりわけ、『色覚異常の画家』のエピソードに感銘を受けた。自分でもイラストをものするので、色の感触が消えうせ、微妙な階調が見分けられなくなったらと思うと……正直、ぞっとする。
だが、エピソードで紹介された画家は、確かに悲嘆し、非常な苦しみを受け、時間をかけながら、それでも新たな視覚と付き合っていくことを学んだ。
これをコーンの分類「障害受容のプロセス」でいう

『ショック→回復への期待→悲嘆→防衛→適応』

といった一般化・抽象化した言葉で表現すると、大事なものが欠けてしまうだろう。大事なもの、それは『当事者の感情、経験』とでもいうべき、何かである。

そして、自閉症には顕著だが、「余人には、全く存在ないように見える」感情や経験の内面化も、本書収録のエピソード『神童たち』からは感じられるのである。
たとえ、筆者オリヴァー・サックスおよび定型発達で健常者諸君の世界からは、『不足』『不十分』『未満』であろうとも、だ。

評者自身も、ASD的な側面をいくばくか持っているため、「火星の人類学者のような」気分はよく理解できる。人数が逆転していれば、定型発達で健常者諸君こそ
「観察と治療と適応学習を促すべき世界」
の住人だという思いを新たにした。

この視点の有無は、ともすれば「まず、憐みありき」で人権を口にする人々への、よき試金石となろう。
たんなる医学的のぞき趣味ではなく、自分自身に引き付けて読んでみることをお勧めしたい。

2021年2月19-21日はPC交換中

19日の午後に旧PC引き渡し、パーツ移設のうえ21日に新PC導入と相成りました。
21日導入しても、Windows更新とソフトウェアインストール、かつドライバ更新などですぐに動けることはないと思います。

スマホでSNSやメールチェックは可能です。以上連絡でした。

『イグノランス』感想

『イグノランス』はまことに興味深く拝読しました。 物事の「何が分かってないか」を確かめるには、「確かめる実験を設定できるだけの知識・技能」も必要なのだな。 としみじみ感じ入った次第。

イグノランス: 無知こそ科学の原動力 (日本語) 単行本 – 2014/3/26

Stuart Firestein (著, 原著), 佐倉 統 (翻訳), 小田 文子 (翻訳)

『何が分かっていないのか』
『解るべき事柄はその問いで本当に掴めるのか』

そうした問いの立て方が重要であり、さらに『暗い部屋に黒猫は居なかった』という結果が返ってきたとしても、その『データから解る無知(まだ知らない領域)のカタチ』を資産とせよ。

こうした態度は、理学・数学のみならず人文系にも重要な科学的態度といえる。
本書を読んで改めて、整理された思いだ。内容がUSAの科学者事例にだけだとしても、何の不都合もない。
躊躇せず、星5つをつける。

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とんでもないキャンプ記事

「落ち葉の上で焚火」というとんでもないキャンプ記事(どうやら記事は非公開になった模様)が批判されていましたな。 キャンプとはあまり縁のない私みたいな都市住民でさえ、知ってる事を……。 と、あきれたものです。

「焚火をするときは周囲の燃えそうな葉っぱや草を取り除け」って知っていたかというと、複数の本がソースに挙げられますがひとつは確か、こちら。

『大草原の小さな家 ―インガルス一家の物語〈2〉 (福音館文庫 物語)』 ローラ・インガルス・ワイルダー(著) https://amazon.co.jp/dp/483401813X 

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無差別殺人犯と地続きの私達

昨日だったか。Twitterでフォローしているどなたかが言ってらした。

「無差別殺傷犯が『誰でも良かった』といいながら、弱そうな女子供を狙う」 というのは、 「生命が等価だからこそ、やりやすい対象を選んでいる」 のではという。

これがゲーマー的には、
「貰える経験値が同じなら、攻撃力・防御力・HPの低い奴からタゲる」
よね、と。
ストンと理解が及んでしまいました。

その理解が及んだ時、
「ああ。無差別殺傷する動機は持たないが、効率よくタゲを選ぶという点において、『この私』と『彼ら』は地続きの同じ人間なのだ」
という認識はほんとうに身に沁みます。

多くの人は、
「悪いこと、非道をする者はモンスターだ、悪魔のような、破綻した人格の持ち主だ、ねじ曲がった価値観に毒されているのだ」
という話の方が好きだと思います。 それはもう、『自分はイイヤツ』という自己肯定感を守るため、当然の心の働きでしょう。

でも、事実は違う。 「いかに悪いことをした人間であろうと、『効率よく目的を達成しよう』という考えやらなにやらは、『イイヤツであるはずの自分』と地続き」 です。 地続きであり、

『不幸な偶然が3つくらい玉突きしてたら、自分もそうしたかも知れん』

のです。例えば「実家が貧乏」「派遣切られた」「失業保険も何も援助がない」の3つくらいでほら、ね。

そのぞっとするような事実認識を踏み、なおもその上でまっすぐに立ち続けるための指針が、『理性』ってやつだと。 私は思っています。

『理性』の少ない、ほぼ無い人にも、同じ一人分の人権はあるので、そこはお互い尊重しましょうや……な?とも。


/* 注釈 同じ一人分の人権を持つ、理性も仏性も少ない(無きに等しい)ヒトからの侵害行為には、峻厳たる態度で臨みます。 そのことに、私は一片の後悔や慈悲を持ちこそすれ、衝突そのものは忌避しない。

『ホテル・アルカディア』書評

ホテル・アルカディア著者 : 石川宗生集英社発売日 : 2020-03-26ブクログでレビューを見る»

奇妙で納得のいく物語集。星5つ。

一篇一篇のなかでは、推定されるジャンルの短編小説として、「体をなしている」し、なるほどこういう読後感を目指した掌編なのか、と納得がいく。
ところが、『都市のアトラス』で語られた『手』のように、一篇ずつの重なる部分を「重複」として意識したら。あるいは、同じモチーフ(同じ人名や、かすかな類似)を三次元的に、別の方向から接続した部分がある「繋がり」として意識した途端、事情は変わってくる。

この異質な感じは何だ?

ホテル・アルカディアには結局何が居て何が起きてどうなったのか?

その最大の謎すら、多層的に、冗談じみた短編7名義で語られる。それと、ほのめかしを含んだ未来を舞台にした物語で。

いわゆる、
「一本の、あるいは複数の糸を辿るようにして、たどりつきました大団円!」
タイプの娯楽物語を求める人にとっては、ストレスのたまることこの上ない。
だが、
「手触りすらはっきりした絹の手袋を片手に、ためつすがめつ、それを着用していた ”中身”については本当に人間だったかどうかさえ分からない」
ことを楽しむ、幻想の愛好家にはたまらない娯楽となろう。

デッドプール:SAMURAI面白いよ

面白いからまず読んで(圧)

昨日かそこら、TL上に

”『デッドプールSAMURAI』はUSA版の上っ面を撫でただけ(で面白くない)、USA版はポリコレの何たるかを知ったうえでギリギリ攻めてる(から面白い)”

みたいな上級オタクムーブが流れて行ったけど……。

日本の大半の読者は「お前は何を読んで何を言ってるんだ? 」て感じだと思う。

『デッドプール』と『デッドプール2』の映画で知ってる層が大半なんだから、あの映画のノリで漫画になってて、ゲラゲラ笑えればそれでいいんですよ。

デッドなプーさんの面白ポイントは、「自分はちょっと規格外なんだよな」って層に刺さってることだと思うの。私は。

映画1作目、作中で
「感動のラブロマンス映画だって聞いたのになにこれって思ってる」
女子向けのセリフがあったでしょ?
でもあの映画、
「火薬と銃弾たっぷりのアクションだと思ったのに、自分で手首切り落とすわ、火事の中全裸ファイトだわで玉ヒュンしてる」
彼氏を横に、にまにましてる彼女に受けてるよ(少なくとも私はそーゆータイプの女子だ)。

USA版にはUSA版なりの、ウケをねらった層にむけた工夫があるんだし、集英社版には集英社版の、日本の漫画とアニメとデップー映画見てきた層むけの工夫があるんですよ。

商業漫画はウケてなんぼ。

そこに、
「本家版ではこうこうこうでー(だから集英社版はつまらんのだ)」
という、深読みできる俺カッコイイムーブかまされても、
「お前は何を読んで何言ってるの?
ワシらは『デッドプールSAMURAI』の話をしてるんだが」
 と冷めた目で見つめるしかないワケ。

むしろキリスト教右派や性道徳保守なポリコレ勢力と闘わないで済む集英社版デップーが、どうなるか楽しみ。 ここ日本の文化の中で、何をおちょくって、画面外の誰に何をコソっと話かけて、実際は何かしらヒーローになっちゃってるのか? オラはワクワクしてるぞ。

日本には日本の(というか集英社の)自主規制コードがあって、「知らないうちに見ないで済むようになってる」何かを浮き彫りにしちゃうんじゃね? てのは、これまた私のオタクっぽい読み方だけどw

ま、まだほんの5話なので今から追いかけるにはちょうどいい。 面白いかどうか、読んでみてから決めると良い。
チミチャンガもいいけどスシもいいね、ってなったら嬉しいですね。

[#1]デッドプール:SAMURAI