発掘テキスト  私の立ち位置説明

私の立ち位置、それは次の問いに端を発します。

「実在ペドフィリアやレイピアンからの性的虐待を受けるというのは、すごーく嫌な経験の一つです。でも性的情報メディアを規制すれば、その被害は防げたでしょうか?」

「素直で、漫画など読みもしない小4の女の子」を、「年齢が上の人間は敬うべきで、老人には親切にすべき」という常識や、「君のことが好き、一目ぼれ」と美しい言葉を用いて、性的に虐待する85歳老人はいなくなりますか?
親の離婚騒動で、『性的興奮を誘うポーズの女性の裸体を多数収録した雑誌』が読み放題の小学6年生男児が、下級生の女の子を自宅に連れ込んで『雑誌』を見せ、相手に同じことをさせようとすること。その後、同様あるいはもっと巧妙化した行為を繰り返そうと試み、40歳以上になった現在地区の父母全員に性癖が知れ渡り、小学校にあがるまえの子どもを持つ地域の母親達全員が口伝で自主防衛を余儀なくされること。
性的情報メディアを規制すれば、そういったことがなくなりますか?
私はそうは思いませんし、どう理屈をこねても思えないのです。

性的虐待は人間の根幹を捻じ曲げます。私は上記のような経験をして成長した後、恐ろしいほど過ちを犯し、性的に凄く嫌なことをされたりしました。
性的虐待を受けて、あれほど自尊心が低く、自己肯定感を渇望していなかったら、そういう嫌な経験を回避できたのか?
そうとは思えません。
回避の可能性は高かったでしょうが、絶対に性的な嫌な経験を回避できる、と断言は出来ません。
それに比べれば、性的な内容、暴力的で嗜虐的な内容、死や自殺や他殺を扱った内容、犯罪/犯罪者を美しく格好よいもののように描いた内容のメディア作品を、読んだり見たり聞いたりすることは、
「許容範囲内でショックを受けたりもしたが、逆に『許容範囲内で心の訓練ができた』」のです。
幅広い創作物に触れて擬似経験をつむことなしに、「これだけは受け容れられない」という創作物を回避する技能は育ちません。
さらに、
「これだけは受け容れられない。わたしはこの作品が嫌いだ。私には用の無いものだ。
だが、他の人には『用がある』ものかも知れないので、それらを楽しむ自由は、尊重してあげたい。それは私個人の好悪の念が他人に干渉されないのと同じく、他の人の権利だもの」
と考えるようになりました。

【続報8/25】株式会社明屋書店よりお返事いただきました #hijituzai #hijitsuzai #非実在

株式会社明屋書店よりお返事いただきました

【続報8/25】BL、ハーレクインとも、売り場移動そのものはありませんでしたが、書棚に挿された『18歳未満販売禁止』の札は外されていました。【以上お知らせ】

前回の記事にてお話した、地元書店の九州ブロックの責任者さんよりお返事を頂きました。

今回は、頂戴しましたメールと、私の側からのメール文例を、個人情報部分を当方・お相手担当とも伏せつつご紹介いたします。

件名  (明屋書店)お詫び

***(キリミサカナどんの本名)様
 
いつもセントポルタ店をご利用下さいまして誠に有難うございます。
またこの度、貴重なご意見を頂戴し誠に有難うございます。
私は九州ブロックの責任者をしております***
と申します。
早速セントポルタ店に状況確認を致しました。
お子様の来店も増える夏休み前にセントポルタ店でも
18歳以下販売禁止対象の図書販売や陳列についてあらためて整理を実施したとの事でしたが、
その際の対象商品の仕分けにおいて対象となる商品とはどういったものかについて
過大解釈をし過ぎているところがございましたので、
あらためて作品個々に内容を確認して
「大分県の青少年の健全な育成に関する条例施行規則」に照らし合わせ、
対象となる商品とそうでない商品とをしっかりと区別し、適切に陳列するように指導を致しました。
コンプライアンスの遵守をしつつも、過大解釈や間違った解釈で、
今回のようにお客様のご利用にご迷惑をお掛けする事がないように注意をして参ります。
この度は、貴重なご意見を賜り本当に有難うございました。
 
株式会社 九州明屋書店 店舗運営部***
以上のようなお返事を頂きました。
そこで、お礼のメールを出しました。

切身魚どんのメールはこんな感じです

そのとき自分は醜い顔をしていないか?

表現の自由の例題

 

自由は規範によって縛られなければならない。

ところでその、自由主義社会における規範は、自由な場と自由な議論で決定されなければならない。

もし誰かの『表現の自由』が侵害された状態で規範が決められたら?

それは規範としての根拠を持たない。

 (こちらの呟きから、改変しました 
くろいつみ ‏ @kuroitumi
自由は規範によって縛られなければならないけど、自由主義社会における規範は、自由なアリーナで決定されなければならず、もし表現の自由が侵害された状態で規範が決められたとしても、それは規範としての根拠を持たない。
2012年4月21日 – 20:21 SOICHAから · 詳細

 

例題を挙げましょう。

特定の性別をした人がたはむれているCMを見ると

「子どもが同性愛者になったらどうしてくれる」

と申し立てる親ごさん。

個人の不快感を倫理の問題にすりかえて、吊るし上げる人は困ったものですね。さらに、その申し立てが、言ってる本人が考えるほど倫理的ではない場合、もっと困ると思います。

 

放送倫理・番組向上機構 –2011年度視聴者の意見 – 20123月に視聴者から寄せられた意見

http://www.bpo.gr.jp/audience/opinion/2011/201203.html

宣言じゃない、行動するのよ。

・・・というようなことを、脳内でお姉様が仰るので、自分の連続Tweetから採録します。
前提:私の性嗜好は「ほぼオールジャンル、リョナとDIDはやや苦手」です。BLは当然のたしなみ。(人体の解体を伴う残虐な表現物を検索ヒットする恐れがおおいので、Google検索は相応のお覚悟をもってなさいますよう。)

一方、実際の行動を決定付ける性指向は『非性愛』です。行動指針はLGBTアライ(支援者)です。

つまり、嗜好品は非実在でバーチャル、だから燃え/萌え。
実在人類の苦痛軽減のためにはLGBTアライとして発言して行動する。よく考え、理に叶った結論を提示できないとなぁ、って思う今日この頃。
一般人よりこえーのが同種同属の背中撃ちです(*´∀`)