.@shuhishin さんの
「原作者が二次創作BLに文句を言うのは「腐女子差別」?」
をお気に入りにしました。 http://togetter.com/li/657319
誘導的なタイトルとコメント欄ですが、『トレードオフ』の例題には興味深くタイムリーでしたので、ツイートした事を中心に、己の考えをまとめてみます。
まず私が確認したのは、『内心の自由』と『意見を表明する自由』が平等な権利だ、ということ。 続きを読む
For English readers;
I couldn’t agree with Sputniko! . Her opinion sounds like this, “my works are an alert, head-up art, others are discriminatory hate expression.” This augment is very similar to ECPAT, or Ms. Wakaba Fukada interfered “Comic LO” business. Those two examples have something in common.
I can swear that they have never read the “Journals of Japanese Society for AI”.
If the cover art of academic journal was “good-looking android guy with energy cable working in waste incineration plant”, would feminists says anything?
http://www.ai-gakkai.or.jp/
Anyone can say “I like it.” or “I don’t like it.” But shouldn’t use morally terms to force others to agree with their dislike feelings.
表現規制に反対の立場をとっている絵師として、スプツニ子さんとかいう人の言説にはすごーく残念な気持ちでいっぱいです。
話題にされている、人工知能学会の学会誌の表紙はこちらからご覧いただけます。
参照先2 「人工知能」の表紙に対する意見や議論に関して
http://www.ai-gakkai.or.jp/%E3%80%8C%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E7%9F%A5%E8%83%BD%E3%80%8D%E3%81%AE%E8%A1%A8%E7%B4%99%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E6%84%8F%E8%A6%8B%E3%82%84%E8%AD%B0%E8%AB%96%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%97%E3%81%A6/
1970年代の論客と同様、殴りやすい相手を殴って炎上を煽り、「問題提起をした」と言う態度をとることや、とる人を、私は支持しません。「私の作品は問題提起のアートだが、他は差別表現でヘイトスピーチだ」というも同然の行いですからね。
『ある人が作った作品』に対する好き嫌いは全くの別物ですが、そんな言動をする人は、人として好ましく思いませんね。
学会の表紙がケーブルつけたイケメンバトラーだったらどーよ?
という質問に答え切れないなら。答えたとしても論理が破綻しているなら。
あれは単なる「私はドギマギして気持ち悪いからやめて」と難癖をつけているだけなのです。
公式に許諾を取って、初音ミクや結月ゆかりにメイドコスさせたお掃除シーンを描いてたら、同じことを主張したでしょうか?
「主張しない」のであれば、
「見慣れないものにドギマギしたので、それっぽく理論武装して攻撃しただけ」
だと、私は解釈しますよ。美大系の講評会でよくある光景です。とにかく何らかの理論づけをして、作品に権威や説得力を持たせようとする学生が、陥る陥穽。
先日のこと、このような記事がツイッターで話題を呼びました。
赤十字の戦争ゲーム内での人道に対する罪の描写について。 http://www.jrc.or.jp/ICRC/news/663.html
日本語記事は十月二十九日に発表されました。英語記事は、二〇一三年九月二十七日に発表されています。http://www.icrc.org/eng/resources/documents/film/2013/09-28-ihl-video-games.htm
私はこの記事で、上記の要求が、前提からして間違っていること、そして目的から外れた要求内容であること、さらにIC RCのやるべき事でもなければやっていい事でもない、という4点の反証を致します。
前提からして間違っていること。文章中に「ビデオゲームは若い人たちや次世代を担う人たちに人気が高く、絶大な影響を与えるので」 とあります。また同様に、 「私たちが関心を持っているのは、実際の戦闘現場をリアルに追求しているビデオゲームのみです。 」ともあります。
このようなゲームは、ファーストパーソンシューティング(FPSとも省略される。本稿ではこれ以降FPSと表現します。)と呼ばれます。とてもリアルなビジュアルで、物理演算もしっかりした精密な『戦闘現場をリアルに表現』されています。
早速、4gamer.netで紹介されていた、現代を舞台とした、リアル戦闘系のFPSをアマゾンで検索してみます。なお、パソコン限定のゲームではなく、家庭用ゲーム機で遊べるゲームというタイトルだけをあげました。
バトルフィールド4 CEROレーティングはD(17才以上対象)
コール オブ デューティ ゴースト CEROレーティングはD(17才以上対象)
RAMBO The Video Game開発中。ムービーが見られる公式サイトのリンクをクリックすると、 18歳以下は閲覧できない旨の警告メッセージが表示される。
モダンコンバット:ドミネーションEROレーティングはC (15才以上対象)
iOS向けの新作アプリCall of Duty:Strike Team「このアプリケーションのダウンロードは、17才以上の方が対象です。頻繁/極度 成人向け/わいせつなテーマ
頻繁/極度 リアルなバイオレンス
頻繁/極度 アニメまたはファンタジーバイオレンス
まれ/軽度 過激な言葉遣いまたは下品なユーモア
」 という警告メッセージが表示される。
スナイパー ゴーストウォリアー2 CEROレーティングはD(17才以上対象)
スマートフォン以外は、ps3かXbox360のタイトルばかりです。ceroレーティングがCやD以上であるのなら、プレイヤーは15歳以上あるいは17歳以上とされている。実際の戦闘現場の様子と、ゲーム内の戦闘現場の様子を区別できる年齢で遊ぶということです。
ゲーム統計サイトVGChartzhttp://www.vgchartz.com/ の統計によると、二〇一三年十月二十七日現在、日本で最も売れているゲームは3DSのポケットモンスターXY 。1週間あたり24万1832本売れています。実況パワフルプロ野球や、モンスターハンター4に続いて5位にやっと、 『Grand Theft Auto V』がでてきますが、これは戦闘現場をリアルに表現したというよりは犯罪アクションゲームですので、 IC RCが槍玉にあげるとは言い難い内容と考えられます。
1週間単位では十分なタイトルは集まらないので、1年単位で見てみましょう。二〇一二年のチャート図によると、http://www.vgchartz.com/yearly/2012/Japan/
ゲームプレーヤーの人口は拡大しています。しかしとりわけ、プレーヤー人数が少ないジャンルのゲームの内容に意見する事は、人数の観点から言って実効性に乏しいといえます。非営利活動とは言え、資金や人材は有限なのです。筆者は、前提からして「実効性に乏しい」主張にリソースを割く事は、間違っていると考えます。
目的から外れた要求内容であるということ。すなわち、「実際の戦場で何が許され何が許されないのかを、ゲームを通じて知ってもらう 」という主張は、フィクションの中に因果応報や勧善懲悪といった要素を組み込む事です。戦争に於ける国際規約や戦後定められてその後破られることの多い国際法は、「ゲームを通じて」教えるべき内容かどうか。
Twitter上の反応では、フィクションに道徳教育や躾を押し付けてどーするの、という意見も聞かれます。
ビデオゲームの中でプレイヤーが主体的に判断し、ビデオゲームの中の行動を決定するからといって、それがすなわち現実の人間の行動決定に結びつくという主張は短絡的です。
例え話をしましょう。
任侠モノの映画を観た後の人は、格好良いヒーローの姿に興奮し、肩で風を切って街を歩くかもしれません。これは『弱い影響』であり、他の人の失笑を買ったりすることはあっても、日常生活に重大な、取り返しのつかないダメージを受ける事はありません。
しかし、いくら格好良いヒーローの姿に興奮したからと言っても、目についたヤクザの事務所に飛び込んでいって、手近なものを武器に振り回すようなことはしません。それはとても『強い影響』ですし、日常生活に重大な、取り返しのつかないダメージを受ける事です。心や体に大きな問題を抱えている場合を除き、普通の精神状態にある人は、そのような強い影響を回避するように、自分の心をコントロールして理性的に振舞います。
ゲームをプレイする人は、現実の世界は退屈で、ルールは不明瞭でいい加減に運用されており、ゴールがはっきりせず、主体的に意思決定ができず、受け取るフィードバックは曖昧であったり否定的なものだったりすることが多い、と感じています。だからこそ、現実の世界とゲームの世界をきっちり区別して振舞います。
ゲーム内の世界で、何をするべきかがよくわかって来ると、明確なゲームのルールに適応します。そこで培われたコミュニケーション能力や、チームワークを、現実の世界で発揮するプレイヤーもいます。
だとすれば、ゲームの中で爆撃機を操作しながら、
「赤十字のマークを表示したテントは攻撃してはならないという決まりがある」
と画面にテロップが流れたから、
「ふむふむ、人道活動中の赤十字は攻撃したらいけないな。」
と考えるようになった……と言うような、強い道徳的影響を受ける。
そんなことが現実的にありえるでしょうか。筆者はそのような『道徳的影響を受けるようにデザインされたゲーム』を、魅力的だとは思いません。
「実際の戦場で何が許され何が許されないのかを、知ってもらう 」
という目的が達成されるには、
「ゲームを通じて」
という手段が必要でしょうか?
すでに申し上げたように、日本以外の国で評価するとFPSゲームのプレイヤー数は多数派ですが。日本においてはむしろ少数派です。人数の点から見て、実効性に乏しい手段です。また、 「知ってもらう」 = 「教育」という意味なのであれば、「ゲームという手段を選ぶ」着眼点は適切ですが、「娯楽用のゲームに、教育用のツールとして最適な内容を盛りこめ」と要求するのは間違いです。
ICRCのやるべき事でもなければやっていい事でもないという点。
赤十字社にとっては、ゲームが若人の精神涵養に影響するといわれる。しかし彼らの要求は営利企業による、娯楽サービスに対して、不適切な要求です。
建設的な提案として私は、ご自分たちでおつくりなさいませ。と、提案します。さぞや多くの人が支持なさる可能性が高うございますよ。
もちろん、売上不振だった場合は糾弾いたします。当然でしょう。非営利活動でこそ、事業評価は厳しく行われるべきです。
自著『改定に反対!児童ポルノ法』でも触れましたけど。喫緊の課題である『現実の児童保護』を等閑に付しておいて、『非実在の表現物』において人権や人道、道徳を訴えることを、わたくしは『偽善』と呼びます。偽善と呼ばない人は、『偽善者』だけでしょう。
ゲーマーは、それが楽しいから、ゲームする。他の誰か(身近な人であれ縁の遠い団体であれ)の『望ましい遊び方』を強制され、『望ましいストレス発散方法』をするよう矯正されるいわれはございませんな。 そして、ゲーマー側の『犯罪でもないのに』という反論を封ずるべく、『反社会的』というレッテル貼りには、断固反対を主張します。
最後になりましたが、ゲームクリエイターや表現者の側にいる方々は、このような「丁寧で論理的に展開される暴論」に騙されないようになっていただきたいと思います。手始めにゲーム・デザイナー、ジェーン・マクゴナガル著『幸せな未来は「ゲーム」が創る』でもお読みになるのがよろしいかと。
TEDにもプレゼンがあるので、必見ですよ。 ご本人のサイトはこちら。 http://janemcgonigal.com/
他にも、様々な学術的根拠を学習しておくことです。
松江市議会に「はだしのゲン」の撤去を要請した人物がいて、陳情そのものは不採択になったものの、その時の議会の発言を受けて市教委が閉架を決めましたそうで。
事の経緯についてはこちらのトゥギャッターが詳しいです。
学校図書館から『はだしのゲン』を撤去するよう要求する“歩く有害情報”な人々
http://togetter.com/li/296268
松江市教委に、 『はだしのゲン』について
「小中学校図書館で子どもたちが自由に読めるように戻してほしい」
と要望する署名が開始されてるようです。
目標は1万人だとのこと。
https://www.change.org/ja/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%…
抗議したのが誰であれ、その主張内容が正当だろうが、不当だろうが、「そんな事に関わりなく」、図書館の自由は守られなきゃならないのです。リアルで図書館戦争を経験した人からはそう聞きました。
『はだしのゲン』だけではなく、対行政暴力や、地方議員を使って圧力をかけるなどの手法で、図書館から特定の本を排除しようという試みは、以前から全国で発生しています。
「上野千鶴子氏講演会・堺市立図書館BL小説廃棄要求事件を振り返る」
http://www.jfsribbon.org/2012/10/bl.html
児童ポルノ、反日など反論しにくいレッテルを貼っていけば、あらゆる表現を潰せる……となったら、何が起きるんでしょう。この事件は、つぶさせないための試金石だと思います。
私は上記の署名活動に賛同しました。もしあなたが賛同できなくても、はだしのゲンを読んで感動した、とかこういったモンスタークレーマーが嫌いだ、という人がいたらこの記事を紹介してあげてください。
なお、この記事はクリエティブコモンズ継承のライセンスにより、以下のことを許諾いたします。詳細はリンク先をご覧ください。
はだしのゲンが閉架図書にされた事 by 切身魚/Kirimisakana is licensed under a Creative Commons 表示 3.0 非移植 License.
本日はこちらのtogetterを読んだ感想から。
何故、私は規制反対派を認めないか – Togetter http://togetter.com/li/548387
まとめを拝読して思いました事は3つ。
1つ、性犯罪からのサバイバーであるということと、表現物の規制を唱えるという事は別問題。その例は私(サバイバーですが表現物の規制は必要ないと考えます) 。
2つ、ツイッターの使い方が汚いということと、主義主張の内容や、立場の違いは別問題。
最後の1つ。福祉のコストは高い。特に、保護すべき人の数が少ないのに、より多くの人の生活、特に利便性に負の影響を及ぼすような福祉制度のコストは、多くの人が同意しづらいと思うほど高い。私も高いと思います。
最後の1つについては、非常に手厳しい内容となりますが、もう少しはっきりとした言葉で解説いたしましょう。
おはようございます、切身魚です。
日本国憲法から見た秘密保全法制の危険性について
http://enzai.9ch.cx/index.php?%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%81%8B%E3%82%89%E8%A6%8B%E3%81%9F%E7%A7%98%E5%AF%86%E4%BF%9D%E5%85%A8%E6%B3%95%E5%88%B6%E3%81%AE%E5%8D%B1%E9%99%BA%E6%80%A7%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6
こちらの記事を拝読しまして思うことを書きます。
現時点での私の結論は、他の法律専門家が出した意見や、
私の立場、意見の根拠は、
『政府とは、政府それ自身の維持に都合悪い国民をコントロールしたがるもの』
という知見です。品のない表現をしますと、
「だって私がどっかの政権ぶんどって独裁できたら、
です。自分自身の弱さを知っているがゆえに、他の人にも強さを期待しない。また、強くいられなかった人に対しても、寛容である。ただし、次の7世代に至るまで影響を及ぼしそうな、愚かな真似はさせないように、努力します。
特に、表現の自由や内心の自由といった『自由の侵害』につながる政府の行動は、厳しく利するべきと考えますよ。
というタイトルのとおり、Twitterで情報をいただいたのでこちらにも。
らめちーさん(ID @kirika )の発言から。 https://twitter.com/kirika/status/356786910183698432
私は、表現規制に反対です。なぜなら、『ある種のテーマ』を表現物、創作物ですら規制されたら、現実の論議すらできなくなるから。
どんなに善良ぶっていても、「創作物を叩いている間」は「現実の問題に向き合っていない」から。
誰に、どこに投票するかは。貴方の判断に、貴方の自由になさってください。あさっても、「人生の楽しみは尽きませんのぅ!はっはっはっはっ」って笑っていられるように。
6月14日は博多に遠出してきました。「児童ポルノ禁止法改正案・論点解説講演会」です。
オタク弁護士こと、山口貴士先生に教えを請う。 つーかおそらく回答は分かってるんだけど、 私が、性的虐待の被害者として、自分の体験を漫画や小説にするでしょう?するとどうなる?って質問はできませんでしたが、有意義でした。
そこで、執筆中ですが途中までできました分を、PDFで公開します。ライセンスは クリエイティブコモンズ継承3.0。「作者名とURLを削らずに提示」するなら、転載、改変、一部加工、商用作品への収録などを事前許諾。
バージョン3
http://firestorage.jp/download/c48a38345ebad62bacd305a0f9f1ffe44ddabd42
バージョン2、バージョン1はバージョン3公開に伴い、記事からリンクを消します。
児ポ法改正に反対マンガ by 切身魚/Kirimisakana is licensed under a Creative Commons 表示 3.0 非移植 License.
私の立ち位置、それは次の問いに端を発します。
「実在ペドフィリアやレイピアンからの性的虐待を受けるというのは、すごーく嫌な経験の一つです。でも性的情報メディアを規制すれば、その被害は防げたでしょうか?」
「素直で、漫画など読みもしない小4の女の子」を、「年齢が上の人間は敬うべきで、老人には親切にすべき」という常識や、「君のことが好き、一目ぼれ」と美しい言葉を用いて、性的に虐待する85歳老人はいなくなりますか?
親の離婚騒動で、『性的興奮を誘うポーズの女性の裸体を多数収録した雑誌』が読み放題の小学6年生男児が、下級生の女の子を自宅に連れ込んで『雑誌』を見せ、相手に同じことをさせようとすること。その後、同様あるいはもっと巧妙化した行為を繰り返そうと試み、40歳以上になった現在地区の父母全員に性癖が知れ渡り、小学校にあがるまえの子どもを持つ地域の母親達全員が口伝で自主防衛を余儀なくされること。
性的情報メディアを規制すれば、そういったことがなくなりますか?
私はそうは思いませんし、どう理屈をこねても思えないのです。
性的虐待は人間の根幹を捻じ曲げます。私は上記のような経験をして成長した後、恐ろしいほど過ちを犯し、性的に凄く嫌なことをされたりしました。
性的虐待を受けて、あれほど自尊心が低く、自己肯定感を渇望していなかったら、そういう嫌な経験を回避できたのか?
そうとは思えません。
回避の可能性は高かったでしょうが、絶対に性的な嫌な経験を回避できる、と断言は出来ません。
それに比べれば、性的な内容、暴力的で嗜虐的な内容、死や自殺や他殺を扱った内容、犯罪/犯罪者を美しく格好よいもののように描いた内容のメディア作品を、読んだり見たり聞いたりすることは、
「許容範囲内でショックを受けたりもしたが、逆に『許容範囲内で心の訓練ができた』」のです。
幅広い創作物に触れて擬似経験をつむことなしに、「これだけは受け容れられない」という創作物を回避する技能は育ちません。
さらに、
「これだけは受け容れられない。わたしはこの作品が嫌いだ。私には用の無いものだ。
だが、他の人には『用がある』ものかも知れないので、それらを楽しむ自由は、尊重してあげたい。それは私個人の好悪の念が他人に干渉されないのと同じく、他の人の権利だもの」
と考えるようになりました。